しらぼ、

松本まさはるがSFを書くとこうなる。

修正の向こう側を考えるとウクライナ情勢が視えてくる

 


都内某所。日差しが肌に突き刺さる。蝉の鳴き声は聞こえなかった。

 


いつもの場所に行き、いつものインターホンを押す。会員制のハプニングバー。外観からはどう見ても分からない。この秘密基地感が好きなんだと常連の一人が言っていたことを思い出す。

 


中から解錠され扉が開くと同時に、そそくさと中に入る。埃の匂いが鼻腔をつく。2階のカウンターへ行く。複数人の男女がカウンターに座り、4人の男女がその奥のスペースでとんでもない格好で絡み合っている。カウンターの空いた席に腰掛け、ハイボールを頼んだ。

 


たまに話す隣の常連の男の名前は忘れた。が、禿げ上がった頭の両脇にだけ残った髪の毛がパンダの耳のようになっていて、密かに僕の中で彼のことをパンダと呼んでいる。

パンダはいつになく難しそうな顔で煙草をふかしている。

 


「どうしたんですか?なにか悩み事でも?」

 


パンダがフッとほくそ笑む。キザな仕草というのはイケメンがするとそれなりだが、パンダみたいな残念な面持ちだとただのコミュ障になる。

 


「いえ、それほどのことじゃないんですがね。」

 


キザなパンダは深く煙草を吸い、宙にゆっくりと吐いた。それから話を始めた。

 

 

 

 


パンダが行きつけにしている吉原のソープがリニューアルされた。入り口も真新しくなり、キャストも半分以上が見知らぬ嬢に代わっていた。それはパンダにとって新しくなる喜びよりも、見知らぬ何かに変わってしまった一抹の悲しみを感じさせた。

 


ただ、相変わらず店の受付のおじさんは変わらなかった。白毛と金毛の入り混じった髭を触りながら喋る癖のあるおじさんだ。

 


このおじさんに勧められた嬢を90分20000円で指名したらツタンカーメンみたいな女が出てきてしまった過去があるので、迂闊におじさんのおススメに手を出さないことをパンダは身をもって知っていた。

 


ある日、リニューアルされてからまだ一度も足を運んでいなかったパンダは、久しぶりに店に入った。おじさんは相変わらず髭を触っていた。また騙されやしないか、いや、もう騙されないぞ。握る手に力がこもる。

 


髭を触っていたおじさんはは髭をもてあそぶ手を止め、何も言わずに数枚のカードを取り出し、受付カウンターの上に並べた。

 


そこには、清潔感のある白い部屋の背景で撮影された嬢の写真が並べられていた。どの嬢も清楚過ぎず、かつ卑猥過ぎない絶妙なバランスのランジェリーを身につけていた。どの嬢も鼻梁の整った顔、申し分のない胸、くびれのラインと続き、スレンダーな生足と、ヒール。なんだ、どの子もアタリじゃないか。そう思ったパンダは適当な嬢を選んだ。

 

 

 

 


「…それが、間違いだったのだよ。」

 


根本近くまで灰になった煙草を灰皿に押し付けながら、パンダはまた続きを語りだした。

 

 

 

受付で金を払い、案内を受けると、廊下で嬢が待っていた。そこには先程のカードとはまるで違った嬢がいた。なんだ?魔法でもかけられたのか?鼻は低く、腹は出ていて、足もどこからが太ももでどこまでが足首なのか判別がつかない。そして愛想もなく、早くこっちに来いと言わんばかりの一瞥をパンダに向けてきた。

 

 

 

 


「…とんだ地雷でしたね。」

 


僕はなんて気の毒なんだろう、という表情を意識して言った。パンダは、でも案ずるな、と言いたげな顔で言った。

 


「だがな、胸は写真通りだったんだ。」

 

 

 

「というと?」

 

 

 

「爆&乳だったってことさ。」

 

 

 

「…そうでしたか。」

 

 

 

 


先程から絡み合っている4人組は女をカウンターの上にM字開脚の姿で座らせ、順番にクンニリングスしている。パンダは話を続けた。

 

 

 

 


「なぁ君、不思議だと思わないか?」

 

 

 

「えっ?なんです?」

 

 

 

 


「なんで世の中、本当の姿が分からなくなっているんだろうなって。」

 


パンダは新しいタバコに火を着けると、聞くとも言ってないのに、語り出した。僕は放置して隣の乱交に混ざるべきでは?と戸惑ったが、パンダの話の続きが気になってしまった。

 

 

 

 


本当の姿が見えない。これはなにもソープランドの写真の話だけじゃない。世の中のあらゆる出来事がありのままに表に出ることはない。政治、戦争、感染病。メディアに上がる全ての情報はある一つの視点からの意見、情報に過ぎないと言う事だ。

 


情報操作。プロパガンダってやつだ。誰かにとって都合の良い情報だけを流すことで利益を得る奴がいる。

 


ソープランドでいえば、嬢の写真は加工と修正で綺麗に写りすぎているけれど、これは店が利益を得る為に客を1人でも増やそうとしているに過ぎない。

 

 

 

 


「えっ、でもそれがお店側にとっては当然では?」

僕は思わず聞き返した。

 

 

 

「そう。君の言う通りだ。だからプロパガンダはなくならない。だが、それで世の中は正常になるだろうか?」

 

 

 

 


2022年2月24日。ロシアがウクライナに対し侵略を開始。NATO側に着くことを考えるウクライナ側とロシアと関係の深い東ウクライナの住民を守る為だと称したロシア側の衝突が始まった。

 


単純な考え方でいくとロシアが一方的にウクライナに理不尽な攻撃を開始して、ウクライナの国民が戦争に巻き込まれていると解釈出来るし、実際世の中のメディアのほとんどがウクライナを味方し、ロシアを、そしてプーチンを叩いている。

 


どちらが善で悪か。という結論の話では無い。ただ、ウクライナの戦争の情報は完全にプロパガンダであり、誤情報も多い。現在の戦争の勝ち負けは戦地でどれだけ敵を倒したかではない。どれだけ世界の評価を得られるかだ。そらは過去の戦争に起因する。

 


第一次、第二次世界大戦においては各国の視察官のみが戦地の見聞をすることができた。この頃にはプロパガンダというものは敵対する国同士での「作戦」であったに過ぎない。国内の士気を高めたり、敵国にフェイクニュースをばら撒くといったところだ。

 


それから戦争の在り方を一変させたのが、ベトナム戦争。初めてテレビメディアが戦地を世界中に報道した際、米軍が散布した枯葉剤に世界中の非難が高まった結果、米国は撤退を余儀なくされた。メディアによる米国の負けである。これ以降、世界は冷戦を繰り返しながら常にメディアを使ったプロパガンダ合戦に突入している。

 


「戦争中はプロパガンダ合戦になっているのを世界中の人は分かった上で観ているんだ。日本人は平和ボケしているから、そのまま鵜呑みにする。第二次世界大戦の時と何も変わっちゃいない。」

 


「つまりあなたと一緒でパネマジにやられる訳ですよね。」

 


「やられてない。爆乳だったから。」

 


「そうですか。」

 


爆乳の感触を思い出すかのように胸を揉む仕草をしながら、パンダはまた語り出す。

 

 

 

ウクライナ国民がロシア軍にやられている。というニュースだけ聞くと、なんてロシア軍は残酷なんだ。無抵抗の国民を。と思うだろう?だが実際は違う。ウクライナでは総動員による徴兵を行い18〜60歳の男性は全て国内にとどまり、ロシア軍と戦わなければならない。これはウクライナが特殊な訳ではなく、徴兵制のあるスイスや韓国でも同様のことが起きる。

 


火炎瓶を持って戦いに臨むウクライナ人に対して、ロシア軍が発砲、射殺するのは当然だろう。撃たなきゃ自分が死ぬからだ。ジュネーブ条約では火炎瓶での戦闘は地上から直射できるものに関しては制限が無い。

 


そしてウクライナの戦闘市民は撃たれて死ぬと、善良な市民と同じ骸になる。メディアは一方的に殺戮を行ったロシアを叩く。

 

 

 

「だから肝心なのはな、修正の向こう側を考えることなんだ。戦争の話だけじゃない。世の中のありとあらゆる情報は誰かが目的を持って修正している。それを踏まえて考察するんだ。そうすれば、修正の向こう側が視えてくる。」

 

 

 

「そんなことより、ウクライナ女性って美人ですよね。」

 


「最&高。」

 

 

 

 


パンダの長い話を夢中になって聞いていたせいで、乱交していた男女の絡みは既に終わっていて、皆脱力した顔で天井を見つめていた。これから僕もいいですか?という雰囲気には到底思えず、今日は帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

マスターに声を掛け、

表へ出た。

日差しはまだ強烈で、

蝉の声も聞こえてこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ⑥

 

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1月3日。8時40分。

東萩駅から電車が走り出す。益田駅で一度乗り換え後、米子駅まで一気に目指す。およそ6時間程乗り続け、54駅を移動する。この日に連れが飛行機で米子に来るとのことだったので、出雲は後日行く為スルーする。

 

 

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昨日の灰色の日本海とはうって変わって、目が痛くなるくらいのオーシャンブルー。この写真ももちろん車窓から撮っている。

 


いまにも亀を虐める子供達と海亀とか出てきそうな海だ。海岸線も形や深さが安定していないのだろう、これといって大きな港なども無い。整備された海岸線の多い太平洋側に比べて津波の可能性の低い日本海側の海は手付かずの自然のままになっている。

 


美しい。

 


ぼぅっと眺めながら旅情に浸る。

 

 

 

今回の旅行でなぜ僕が山陰本線に来たか。それは至極単純な話で、まだ島根県鳥取県に行ったことが無かったからだ。日本横断の時は山陽本線ルート、新幹線も高速バスも日本海側は通らないので、ずっと無縁の場所だった。旅を繰り返す度に「まだ行ったことない場所」が限られてきて、あぁ、島根鳥取行きたいなぁ。となった訳である。

 


中国地方は行きづらい。わざわざ行かないと通らない地域だ。だが、だからこそ首都圏のような量産型センスの無い建物も乱立しないし、豊かな自然が残っている。中国地方とはよく言ったもので、ある意味日本っぽくない。コンビニもほぼローソンしかない。

 


今となっては飛行機で世界中どこにでも行けてしまうから首都が東京で日本海側は田舎なのだが、歴史を振り返ると大陸と一番近く面した日本海側が日本のメインなのだ。

 


1100年間は京都が首都だった訳だし、歴史に関わる多くの人物がこの一帯で生まれ育っている。

 


歴史とか、自然とか文化に興味がない人にとっては魅力がないのかもしれないが。

 

 

 

 


15時08分。鳥取県米子駅に着いた。

連れが空港に来るのは夜なので、それまでは米子を散策することに。

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駅前の通り。何もない。

 

 

 

 


旅先ではとりあえず

風俗街、飲み屋街を目指すもんだから、まずは周辺の人に声をかけて聞いてみる。何人か聞いてみても、普段は関東に住んでいて、正月に帰省しただけだから詳しくない。と言われてしまう。そうか、世の中は正月なのだ。だが、どうやら朝日町というところが飲み屋街らしく、行ってみることにした。ここからは少し距離があるので、バスに乗る。

 


朝日町。渋い。なかなかいい町並みだ。これが夜になるとまた灯りがついて風情良くなるのだろう。

 

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じごん巣というBARもあった。

九州とか西日本の人はたぶんじごん巣の意味わかると思うのだけれど、今回は伏せておく。気になる人はググって欲しい。


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祝開店。

 


もうこのあたりからどんな感情で写真を撮ったのか、意味不明になる。

 

 

 

一通り見てまわったところで、バス停を目指す。アーケードがあった。正月休みでほとんど開いていない。

 

 

 

 

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しんあいなる日常。

そう。なにか大袈裟なことをするのではなくて、日常にこそ平和があり、愛が生まれるのだ。この写真一枚でブログを一記事書きたくなる。

 

 

 

小腹が空いた。近くに鳥料理で有名な店があると通行人に聞いたので行ってみる。とり料理さんぽうという名の店で鶏そぼろ飯を頼んで食べた。美味い。が、わざわざ訪れて食べるものなのか?疑問が湧く。

 

 

 

お腹を満たした後もまだまだ時間があるので、皆生温泉(かいけおんせん)に行ってみることにした。

 

1884年明治17年)頃、砂浜から180メートル沖合の海面が泡だっているのが漁師に発見され、「泡ノ場」と呼ばれるようになった[9][10]。ところが日野川を流されてくる土砂によって海岸が前進し、「泡ノ場」はどんどん陸に接近してきた[9]。これに注目した地元の事業家・伊島源太郎が温泉掘削を計画したが、実行に移される前に、漁師である山川忠五郎が浅瀬に湧き出る熱湯を偶然発見した(1900年(明治33年)秋)[10][11]。事業家や村が温泉の開発経営を試みたがいずれも失敗し、経営難となった[9]。

これを引き継いだのが米子の実業家有本松太郎で、1921年(大正10年)に会社を設立して福生村(現在の米子市の一部)から土地を買収した[9]。有本は京都を模して街区整理による都市計画をすすめると共に、鉄道(米子電車軌道)、競馬場(皆生競馬場)を整備し、様々なイベントを開催して集客に勤めた[9]。背後の大山と美保湾越しの島根半島・夜見ヶ浜や、隠岐島の遠景などの景観と米子市に近いことから[10][6]、山陰随一の温泉歓楽街となった[12]。

温泉地区が海浜に立地することで、長年にわたって海岸の侵食による影響を受けてきた[9]。特に冬季は日本海からの強風で海浜の侵食が激しく、海岸が一晩で13メートル後退したこともある[9]。20年間で海岸線は60メートル以上後退し、11軒の旅館のうち7軒が水没するに至った[9]。対策として鳥取県が防砂堤や防潮堤を造り、砂州を造成して侵食を食い止めている[9]。

(Wikipedia引用)

 


とまあ地域の発展と苦難の入り混じった歴史ある場所なのだ。そして温泉街ということは、やっぱりソープ街もある。これはやはり行くしかない。ここからバスだと時間がかかり過ぎるのでタクシーに乗り込んだ。

 

 

 

 


少し混んだ道を北上し、15分ほどで到着。

 

 

 

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皆生温泉。なにもない。


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なにもない。


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なにもない。

 

見事に何もない。近くには温泉旅館が何棟か立ち並んでいて、旅館の中で飲み食いやら買い物やら成立するようになっているのだろう。日帰り温泉入る気にもなれないし、タトゥーはお断りされるだろう。

 


2、3件、寂れたソープの建物があったが、特にこれといって味のある雰囲気でもなく、写真も撮らなかった。

 

 

 

結局、戻りのバス停にあった足湯に浸かっただけになった。ぬるかった。売店で買ったアサヒビールはキンキンに冷えていて、青い空、青い海と三拍子揃ったところで一月の風が吹いた。夏ならまだ良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


※ここからは連れが米子空港にやって来たので世俗的な旅行になってるのでダイジェストに進める。

 

 

 

 

 

 

1月4日

米子のビジネスホテルからチェックアウト。

ここから精神18きっぷ出雲市駅に向かう。

(青春18きっぷは複数人でシェアして使うことも可能だから試してみてね)

 

 

 

出雲市駅からバスに乗り換え、出雲大社へ。

古事記で有名で、個人的には因幡の白兎が好き。

 

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正月は観光客が多く、コロナが爆発的に流行ったのだとか。

 


一通り大社を巡ったところで(この合間に競馬ボロ負けした)稲佐の浜へ。

 

 

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(拾い画像)

 


行ったときはバリバリ工事途中だった。

古事記を知らずに来るとクソほど面白くないので、中田敦彦YouTube大学で予習しておいてよかった。

 

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帰りのバス。

本数少なっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲市駅に戻り、駅前でのどぐろを食べる。

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金沢は観光地料金過ぎて高いけど、出雲は結構安い。この大きさで1500円くらいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだかんだで時間は経ち、出雲は何も無さすぎるので米子に戻る。

米子でいくつか居酒屋を周り、ハシゴ酒。

朝日町にも行ってみたが、成人式後らしくどこの店もパリピであふれかえっていた。

 


同じビジネスホテルを予約し、就寝。

 

 

 

 

 

 

 


1月5日。早朝。

安い飛行機を取ったので、クソほど朝が早い。最後は余った青春18切符で贅沢に米子空港まで行く。30分くらいで空港へ。

米子空港(米子鬼太郎空港)と記載があったので全く違う空港かと焦ったが、同じ空港だった。同じ空港に呼び名が二つあるとかややこしい。

 


こうして、僕の熊本から鳥取までの僕の旅は終わりを告げた。鳥取砂丘も行こうと思ったのだけれど、米子からあまりに遠かったことと、砂見てもしょうがねえわなってくらい興味湧かなかったので行かなかった。

 

 

 

飛行機が地面を蹴った。一気に空に舞い上がる機体の窓から外を観ると、街が広がり、山々が広がり、日本海がみえた。

 


粒のような街並みの中に人々の生活がある。

いままで踏み込んだこともない地域に、これを書いている今でも、様々な人が生きている。そんな当たり前のことに胸が熱くなる。

 

 

 

1エロ2サケ3バクチ

 

 

 

という目標で旅をした割には酒池肉林みたいなこともなかったし、酒も博打も控えめだった。だが、こんなものだろう。

 


旅先で無理やり変わったことを始めてみたり、無茶苦茶なことをするほど若くはないのだきっと。それよりも、旅先の生活や文化や歴史にフォーカスを当てていく方がどれだけ楽しいか。まぁ、おっさんになったってことだ。

 


こうして人は歳をとっていくのだろうか。勢いが落ちていく様で少し寂しくもあり、見識が深まっていく自分自身を誇らしくも思う。

 


しんあいなる日常。

 


そうなのだ。

日常にこそ、幸せがあり、愛があるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エピローグ

 

 

 

 


1月5日。10時。五反田。

 


昼から開いている中華料理屋で麦焼酎のボトルを入れ、酩酊している僕が壁のいかにも中国って感じの飾りつけのされた鏡に映し出されていた。

 


米子空港から羽田空港に着いた後、そのまま五反田で酒を呑んでいた。既に顔は真っ赤で、医者が見たら絶対にこれ以上飲むな、と言われることは間違いがなかった。

 


酒を飲みながら競馬に賭ける。ハズレ。ハズレ。ハズレ。JRAに仕組まれた様に綺麗に外れる。そしてそれに腹をたたせて酒を呷る。

 


途中から水で割ることも忘れ、ほぼストレートのまま呑んでいる。酔拳とかしたら強そうだ。中華料理屋の主人は、こんな酩酊した客なんて中国でしか見ないだろうから、微笑みながら見てくる。

だがそれが逆に、競馬を負け続けている僕を見て嘲笑っているのではないか、とまで妄想が進み、腹が立つ。

 

 

 

もうだめだ。金が尽きる。

このまま飲み代まで全部突っ込んでやろう。とまで決意していたところで中山11R、正月最初の重賞、中山金杯があるじゃないか。氷の溶けきったグラスに並々焼酎を注ぎ込み、グビリと飲む。喉が焼ける。よし、ここで勝負。

 

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中山芝2000m、17頭。

スクショ画面に全頭は出せなかったがどいつもこいつもそれなりの強さの馬で、何が来るかさっぱりわからない。ハンデ戦で斤量がそれぞれ違うのでぽっと穴馬が来てもおかしくない。データを見ればみるほどわけわからん。酔いが回ってくる。

 


直感と言ってもいいくらいの適当な感覚で一頭決めた。8番レッドガラン。調教が良い。あとは適当に何頭か選んで、いざ勝負。

 

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旅で金を散財したせいで(ほぼ博打)残りで賭けれる金は6000円。銀行口座から賭けるので、流石に手持ちの飲み代は賭けることが出来なかった。もうなる様にしかならん。ボトルも空になり、店を出る。

 


酔いが回ってしまい、記憶がここで飛ぶ。

 


ふと気づいたときは五反田のどこかのラブホテルでうつ伏せで寝ている。胸焼けが酷い。

 


なんだ、記憶飛んでもちゃんと路上でぶっ倒れたりしないんだ、流石だな。なんて思ったけど、大変なことに気づいた。そう、もう金が無いのだ。ラブホテル代すら無い。途方に暮れる。

 


こりゃあ終わった。どうしよう。

とりあえず母に電話して「ラブホテルから出られない」とでも言えばよいのか。そんなバカな話もないだろう。

 

 

 

時計を見る。15時50分。結構な時間寝たらしい。

 


あっ、そうだ。15時35分から中山金杯があったのだ。もし、もしも勝っていれば金が増えてこのラブホテルから出られる。しかし、もしも外れていたらこのラブホテルから出られず、警察のお世話になるしかない。こんなことになるなら、もっと真剣に馬券買えばよかった。

 

 

 

恐る恐る、スマホを開いて結果を見る。鼓動がバクバクと音を立てているのが自分で分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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奇跡が起きた。8-17-4。的中である。

三連単が756.4倍なので、75640円の勝ち。

ラブホテル代どころか、旅行中の負け分も取り返して勝っている。喜び勇んで、冷蔵庫から有料のハイボールを取り出して、飲んだ。キンキンに冷えてやがるっ。

 

 

 

 


1エロ2サケ3バクチ

 


そんな初夢はみれなかったけれど、楽しい正月だった。果報は寝て待てってやつか。

 

 

 

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ⑤

「ここからすぐ近くなんです。」

 


スタスタと歩く信雄さん。もう78歳なのにあれだけ呑んでこれだけ歩けりゃ元気だな。と背中を見ながら感心した。

 


2分程歩くと、すぐに信雄さんの実家に着いた。

 


「ここです。」

 


と言って信雄さんが入った家は、なんとも立派な造りの建物だった。

 


え!?これ家なん!?

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古い家ですがウチでよければ、、って言ってたけど、古いもなにもめちゃくちゃ素敵な家じゃないか!建築物マニアの僕にとってはお宝である。

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中に入ると吹き抜けになっていた。さささ、こちらへ。信雄さんに導かれるままついていく。

「結構古い家なんですよ。江戸時代くらいのですね。それから何度か改築されてますけど、ほとんど昔のまんまです。」

 


畳に上がり、いくつもの部屋を見て回る。

部屋の間の梁が太く美しい。江戸時代頃の建築物だとすれば、身分によって住める家の造りや大きさに区別があるので、かなり高名な家柄の持ち主なのだろう。信雄さんは満州から引き揚げてから移り住んでいるので直系親族ではないかもしれないが。迎え入れられるだけの家柄だったに違いない。

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階段(リフォーム済)を上がり二階へ。板貼りの部屋がある。江戸時代は酒屋、明治時代には商工会議所として使われていたらしく、かなり大人数が寝食して過ごせる広さになっている。

 


そしてまた一階の吹き抜けの小上がりのところに行くと、信雄さんイチオシの小窓の説明が入る。

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「暑い日はこうやって紐を引くと高窓が開くカラクリになってるんですよ。」

紐を引くことで滑車越しに高窓がギィギィと音を立てて開く。

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建物の造りに温度差換気というのがあるが(重力差換気ともいう)簡単に言うと熱い空気は軽く、冷たい空気は重い。部屋の中の空気も上に行くほど高くなり、下に行くほど冷たい。この原理を利用するには部屋の高い場所と低い場所に空気の出入り口を設ければよい。室温の調整と共に、換気扇などなくても勝手に空気が流れるようになっている。式にするとこうなる。

 

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もちろんこんな方程式は江戸時代には存在しないが、生活の知恵として使われていた訳だ。

 

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一通り部屋を案内してくれた後、居間で布団を2人でひいた。灯油ヒーターも出してきてくれたので、全然寒くない。

 


「本当にありがとうございます!」

 


時刻は夜の11時を回っていた。2人ともだいぶ痛飲したので、すぐさま横になり、眠りについた。畳の香り、柱の香りがなんとも心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月3日 朝6時。

 


気持ち良い目覚めだった。あれだけ呑んだのに二日酔いにはなっていなかった。信雄さんに勧められてシメにお茶漬けを3杯も食べたからだろう。

 


僕がゴソゴソと布団から出て厠にむかうと、信雄さんも起きた。

 


「おや、早いんですね。おはようございます。」

 


「あっ、おはようございます!夜はめっちゃ寝れましたよ!」

朝起きた時に僕の股間が完全に膨らみ上がっていたから信雄さんに見つかると変に気まずいなぁ、と思って少し焦った。酔っているときならむしろポロローンって出しちゃうんだろうけど、シラフではそうはいかない。

 

 

 

それから荷物をまとめ、(股間もまとまった)布団を畳み、長居すると今度は朝食までご馳走になっちゃいそうなので、すぐに発つことにした。

 


「信雄さん、本当にありがとうございました。一宿一飯(酒いっぱい)のご恩、決して忘れません!!」

 


正座して深々と頭を下げる僕を見て少し驚いたのか、信雄さんも、

 


「まぁまぁ、気にせずとも。またいつでも遊びに来てください。私もちょこちょこ萩に帰って来てますから。」

 


信雄さんに手を振られながら別れを告げた。

 

 

 

後日談だが、信雄さんは山口県萩で精力的に活動するプロのカメラマンさんだと知った。

 

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下瀬信雄(しもせ・のぶお) 1944年、旧満州生まれ。東京綜合写真専門学校卒。山口県萩市で作家活動を続ける。2005年、伊奈信男賞受賞。15年、土門拳賞受賞。主な写真集に『萩・HAGI』『萩の日々』『結界』など。

 

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信雄さんの作品。

 


萩を中心に山口県のさまざまな風景の作品を創作している。気になる人はぜひ、山口県立美術館か、Nikonサロン等に行ってみてください。

 

 

 

 


暗くてわからなかったが、朝になって見ると、この通りの一帯は信雄さんの家くらい立派な造りの家が幾つも並んでいた。なんか事情でもあるのかなと歩きながらググったら、萩城城下町というユネスコ世界文化遺産の町並みだった。以下抜粋。

 


萩城城下町

ユネスコ世界文化遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成の一部です。豪商の商家や高杉晋作の生家、木戸孝允の旧宅など、明治維新に関する見所もあります。伝統的な景観が保たれており、街歩きしても楽しいです。繁華街とは言えませんが、落ち着いた雰囲気の一角に陶器屋さんであったり、甘味処などもあるので気ままに歩けます。

 


とある。そんなところだったのか!と驚きながら読んでいると、信雄さんの家も載っていた。信雄さんの家は萩市景観重要建造として登録されていた。

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野宿するつもりだったのにこんなところに泊まれるとは思ってもいなかった。旅とはなんと数奇なものか。近所には高杉晋作の通った寺とか木戸孝允の家とかもあった。

 


あっ、ということは、松下村塾が近くにあるんじゃないか?と思って調べてみたら歩いて行ける場所にあった。何も考えずに萩に来たけど、見どころ盛りだくさんじゃないか。大好きな作家、司馬遼太郎先生の作品「世に棲む日々」といえば吉田松陰高杉晋作の話である。舞台はまさに萩。電車に乗る前に行ってみることにした。

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20分くらい歩くと、松下村塾に着いた。すぐそばには松陰を奉った松陰神社もあり、そこの巫女さんが朝から掃き掃除をしていた。他にも歴史館や旧宅なども近くにある。

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これが実際の松下村塾。元は吉田松陰のおじさんが開いた私塾で、26歳の松陰は2年くらいここの松下村塾で教鞭をふるい、高杉晋作伊藤博文などの今後日本を大きく転換させゆく人物の教育に当たった。30歳になる歳の時に安政の大獄で江戸で処刑された。

 


つまりは処刑された時の松陰と2022年の僕は同い年なのだけれど、生きてきた功績としては雲泥の差である。松陰はルーレットも競輪もソープもやらないのだ。

 


僕は彼のような大義は果たせないかもしれないけれど、僕なりに悔いのないように生きていきたいとおもいました。(作文風)

 


学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。 

 


吉田松陰の名言もいくつかあるが、僕は個人的にこの言葉が好きだ。学校で学ぶことじゃなくて「どのように生きていくか」を学ぶのが学問なのだと。僕なりに解釈している。

 


今は亡き偉人達がかつて国を想い、語りながら眺めていたであろう松本川のほとりを歩きながら、僕は東萩駅に歩いて戻った。正月の空は澄み渡り、どこかで鳥の声がした。

 

 

 

 


つづく

 

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ④

 

 


頼むっ、頼む頼む頼む、、、

ぐわぁー!!

 


揺れる静かな電車の中で男がもがき苦しんでいた。こんな正月からこの時間に電車に乗るような酔狂な人は他におらず、この男1人だった。

 


長門駅から東萩駅までの道中、YouTube LIVEで競輪中継を観ながら更に賭け続けたこの車窓の男は、負けに負け、数十分の間に10000円位負けた。

 


理性を失い、我を忘れて犬畜生のように吠えている。その男が車窓に映っている自分自身なのだとは思いたくもなかった。

 


等間隔に配置された萎びた街灯が、その男を照らすたびに姿が消え、また現れてと繰り返している。この男の過ちもこれから幾度となく繰り返されるのかもしれなかった。

 


博打はやればやるほど負ける。

 


そんな簡単なことも分からずにいるこの男は愚かでしかなかった。たまに勝つ経験がある事をいいことに、何度も同じ過ちを繰り返す。感情的に。

 


愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶとは良くいったものだ。

 

 

 

20時16分。東萩駅に電車が滑り込む。

さあて、気をとりなおして街の灯りを目指して歩きますか。

 

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一向に何も見えてこないので痺れを切らしてGoogle MAPに頼る。居酒屋で検索すると、どうやら松本川を渡って1キロほど歩くと密集地に行けるようだ。田んぼ道をひた歩く。たまに通り過ぎる車は、まさか歩行者なんているわけないだろくらいの勢いでかっ飛ばして走り抜ける。なんらかの魔法がかけられてブレーキが効かない車の様だった。気をつけていないと轢かれる。

 


しばらくするとようやく商店街が見えてきた。だが、実際に商店街を通ると、完全にシャッター街になっている。

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こりゃ詰んだ。どうしよう。

コンビニもここから2キロほど歩いた所にしか無い。しかしせっかく旅に出てきてコンビニで済ませるのはあまりにも味気ない。どこか探さねば。

 


商店街を少し外れると、チラホラスナックがあった。中からカラオケの唄声も聴こえてくる。こりゃあ行けるばい!とドアを開けようとしたら張り紙が。

 


「コロナ感染防止の為他県の方はお断り」

 


やはり遠方から来た旅人なんて受け入れてくれるはずはないのである。それでコロナなんてうつされたらたまったもんじゃないもんな。仕方なく諦めた。

 

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(拾い画像)
しばらく探索すると、まだ開いている居酒屋発見。よし、もうここ行くしかない!迷わず店内へ。割と賑わっていて、20歳そこらの若者がたむろしていた。1人です、と答えカウンターに座る。左隣には女子大生らしき二人組の女。右隣には6.70歳くらいのお爺さんが1人。

 


とりあえず、生ビールだ。1杯目だからとりあえず、ではなくてなかなか歩いたので喉が渇いていた。綺麗に注がれたビールで喉を潤す。

 


しばらくメニューを見ていると、隣のお爺さんが声をかけてきた。

 


「君は、この辺の人ですか??」

 


これはまたコロナを気にした老人が僕の所在を調べているに違いない。咄嗟に嘘をついた。

 


「はい。地元です。」

 


「そうなんですか。いや、実はね、、」

 

 

 

そこからお爺さんは饒舌に色々話しかけてくる。コミュ力高いなこの人。でもせっかく東萩の人と話ができるので丁寧に相槌をうち、話を聞く。

 


どうやらこのお爺さんは東京に住んでいて、地元の実家の管理をする為に息子と正月に帰ってきたらしい。だけどお爺さんの息子は古い実家の部屋は寒いし、田舎は退屈だと言って先に東京に戻ってしまったらしい。それでお爺さんは1人でこのお店で呑んでいる、ということだった。

 


なんて親不孝な息子なんだ、と思ったが、僕も人のことを全然言える立場ではないので、そこには触れなかった。代わりに、お爺さんが東京から来てるのが分かったので、僕も東京から来ていることを打ち明けた。「コロナを気にしているのかと思って嘘ついてごめんなさい。」そう僕が謝ると、お爺さんは優しい顔で、いいんだよ、あなたも気を遣って大変ですね。と答えてくれた。なんていい人なんだ。

 


「なんだかね、息子と話してるみたいで楽しいんですよ。ありがとう。良かったら、ご馳走させてください。一緒に呑みませんか?」

 


願ったり叶ったりのお爺さんの提案を僕は快く引き受けた。旅先の恩は喜んで受けるべし。これが僕のポリシーだ。そして2人で呑むことに。山口県といえば日本酒が美味い。獺祭が有名だが、あれは内陸部の酒蔵で造られている。日本海側の東萩にも岩崎酒造という酒蔵があり、山田錦を使った純米吟醸が有名だ。

 


たまたま入ったこの居酒屋も、岩崎酒造の昔の蔵を改装して居酒屋になっており、岩崎酒造の日本酒が数多く置かれている。むしろこの辺り一帯は暗くて見えなかったが岩崎酒造の蔵がいくつか並んでいるらしい。早速お爺さんと徳利2合とお猪口2つで乾杯だ。

 


お爺さんは「信雄と呼んでください。」と言った。僕も名前を伝え、信雄さんと飲みながら語り合った。

 


獺祭は甘過ぎると思ってしまうので日本酒は辛口が好きだが、ここの山田錦の日本酒は甘過ぎず、さっぱりしていて美味い。ぐいぐいと酒が進む。酒と共に信雄さんとの会話も弾む。信雄さんの生い立ちについて聞いてみた。

 

 

 

信雄さんは1944年、旧満州国新京市に生まれた。それから一年後、戦後の満州引き揚げと共に山口県萩に住む。

 


第二次世界大戦後の満州引き揚げ時について知らない人は是非調べてください。日本人は必ず知っておかないといけない。

 


萩に住んでからは小中高を過ごし、東京で写真の専門学校へ通う為上京。それからは萩と東京を往復する形で仕事をしているという。

 


「なんだかね、萩が地元って感覚は無いんですよ。不思議と。物心ついてなかったけれど、私の故郷は、地元は、満州にあるんだと今でも感じています。でも、純粋にこの萩が好きなんです私は。」

 


信雄さんがぐいっとお猪口を傾けた。誇らしげな面持ちの中にほんのり寂しさが混じっている、そんな表情に見えた。

 


日本酒をちびりちびりと飲みながら、信雄さんの過去に思いを馳せる。人の過去は皆それぞれあるが、他人事と思わずに、親身になって、自分事のように聴き入ると、そのときの情景が目の前に映る。まさに信雄さんの生い立ちを一緒に体験したような錯覚にまで自分を沈め込む。僕は元来本が好きだから、相手の話す想像の中に浸るのが好きなのかもしれない。

 


あっという間に2時間以上が過ぎ、空いた徳利がカウンターにいくつも並んでいた。

 


「ありがとう。あなたは色んな土地を旅しているみたいだけれど、あなたはとても魅力的だから色んな人に声をかけられるんじゃないのかい?私もね、君が横に来た時に、どんな人なんだろうって気になってしまったんですよ。」

 


魅力的だなんてそんな、と言いつつ、嬉しくて(日本酒も入っているから)顔が赤くなったのが自分でも分かった。キャバクラとかで言われるような容易い褒め言葉なんか一つも響かないが、人生を歩んできた年配の人の褒め言葉というのは、心の奥にゆっくりと沁みていくものだ。

 


今日はどこに泊まるんですか?と聞かれたので、いや、野宿です。と自分のリュックの寝袋を指差すと信雄さんは大層驚いた。

 


「こんな日に外で寝たら風邪をひいてしまいます。ぜひ、古い家ですがウチでよければ泊まってください。」

 


まさか何も知らずに萩に来たら酒と飯奢ってもらって泊めてくれるなんてなんて運がいいんだ、、いや、信雄さんがとても優しい人なのだ。

 


「いいんですか!?じゃあ、甘えちゃいまーす!!」

 


2人で日本酒で頬を赤らめ、ハハハと笑いあった。お店の店員に居酒屋の閉店を告げられた。信雄さんに奢ってもらい、席をたつ。

出口を出ると風が吹いていた。

居酒屋の中がよほど暖かかったからか、外はかなり冷えた。

 


偶然寄った街で偶然入った居酒屋で、こんな好意に出逢えるとは。やはり旅は楽しいものだ。僕もいつか旅人に出会うときには、信雄さんから頂いた恩をまた違う誰かに返すときが来るのだろうと思った。

 


つづく

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ③


大西洋はさわやかなブルー。日本海は淀んだ灰色。そんなイメージ通りの海の表情をひたすら眺めていた。千切れた雲の隙間からオレンジの光が隙間を縫うように流れている。日本海沿いの景色をひたすらに眺めることのできる山陰本線の線路を轢いた人のセンスの良さを感じる。車窓からは手前の陸もあまり見えないので、まるで海の上を走っているかのようだ。

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景色にうっとりとしながら30分ほどすると小串駅に到着。ここで10分程待って電車を乗り換える。

 

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小串駅。なにも無い。

 

乗り換えの時間に少しだけ海沿いへ。神秘的だった。

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ここからもうしばらく進むと下関市からは出てしまう。

 

 

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電車は移動手段の一つとしか考えていないので鉄オタでもなんでもないんだけどこのノスタルジー溢れる車両はとても好き。

 

 

 

18時19分。乗り換えたノスタルジー電車が出発。次は1時間弱ほどすると長門駅に到着する。すでに暗くなった海は真っ暗で、観ててもつまらないから早速競輪でもやりますか。

 

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伊東8R

18時35分締め切り40分発走だ。

 


競走得点というのが基本的に高い数値ほど強い選手だが、試合の展開やチーム編成によっていくらでも結果が変わる。特に競馬と違って人間なので、先輩後輩とか、出身の都道府県でチームを組むので、尚更難しい。

 


単純に競走得点だけ見ると、②永澤が1着、北陸チームの⑤大森が後ろに続いて2着、①③④⑥⑦が3着と予想出来るが、これだとオッズが安い。②が3着以内から外れてくれれば配当も大きくなるので、ここは買い方を変えてみる。なんにしようかな。

 


ここで、突然電波が途切れる。圏外だ。

 


なにっ?周りを見ると、そう、電車はトンネルに入ったのだ。車窓の外は暗闇。トンネルの中の風を切る音だけが聞こえて来る。

 


沈黙。携帯の電波の無い世界とはこんなに静けさに包まれるものかと物思いに耽る。

山陰本線日本海沿いに線路を作ったのだが、この一帯はリアス式海岸となっている。海にせり出た陸と海が交互に織りなし、その境目には山が迫り上がる地形だ。必然的に線路を通すにはトンネルを通すしか術がなく、幾度となく電車はトンネルを通ることになる。

数分掛かってようやく電車はトンネルを抜けた。

 


しばらくして電波が戻る。18時30分。車券締め切りまであと数分。早くしないと次のトンネルが来てしまう。

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トンネルを抜けた電車は次に長門二見駅に到着するが、その後が問題である。なんとさっきまで日本海沿いを優雅に走っていたはずの山陰本線が、急に進路を変え、山の中に入ってしまうのだ。ここにはかなり長いトンネルが待ち受けているに違いない。ここまでに購入を済ませないと絶対に間に合わない。

 


ここは、穴狙いだ。関東勢の⑦志村と③山岸が逃げ捲りを決め込んで1、2着、その後に①.④.⑥のどれかが入りこむ。うん、これで行こう。当たるか分からないが、当たればデカい。あまり考える時間はない。早く買おう。

 


三連単フォーメーション

③ ⑦

③ ⑦

① ④ ⑥

 


なので、買い目は

③⑦①

③⑦④

③⑦⑥

⑦③①

⑦③④

⑦③⑥

となる。

組み合わせが6通りあるので、それぞれに1000円賭ける。合計6000円。

 


もし③⑦⑥の順番で来れば最高827000円当たる。

⑦③⑥でも273600円。

こんな当たったらもうお祭りだ。

よっしゃこれでいこう。

 


車番を選んで、金額を入力。あとは暗証番号をポチッとすれば…

 


ここで携帯が止まる。

 


トンネルに入ったのだ。

あまりのタイミングの悪さに絶句する。

 


頼む、早くトンネルから出てくれ、、、

 

 

 

しかし、僕の願いは届くことなく、18時35分。締め切りの時間になってしまった。

長門二見駅から次の滝部駅までは長い長いトンネルが続いていた。

 


こうなってしまえば人間というのは切り替えの早いもので、今度は自分の予想が外れることを祈る。②とか⑤とかが3着以内に来てしまえば、僕の賭ける予定だった6000円は無傷で返ってくる。いわば勝ちである。まあ、そうそうないだろ。配当金を欲張って高い組み合わせで買った時ほど当たらないのが世の常であり、ギャンブルなのだ。

 

 

 

もう10分以上もトンネルだ。レースすらも結果が出ているだろう頃、ガーッ、、っと鳴り響きながらトンネルを電車が抜けた。電波が入ってきた。いざ、結果発表である。

 

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⑦-③-⑥

当たっていた。

100円あたり27360円なので1000円分買った僕は273600円になる筈だった。

 


だがもちろん、トンネルで締め切りを迎えた僕には1円も入ってこないのだ。

 


ショックのあまり膝が震える。

 


山陰本線なんて大嫌いだ。

 


競輪なんて大嫌いだ!!!!

 


しばらく呆然としたまま車窓におでこを擦り付けて過ごした。

 


夜の日本海には、星一つなかった。

 

 

 

19時33分。絶望に打ちひしがれた僕を乗せた電車は長門駅に着いた。辺りはトンネルと変わらないくらい暗く、駅にも人の気配がない。ここで電車を乗り換えるので30分程の待ち時間ができた。僕はさっきまでの憂鬱を振り払い、颯爽と外に出る。

 

 

 

そう、ここ長門には「ボートレースチケットショップ長門」があるのだ!チャリンコがだめならボート、である。我ながら優秀だ。駅から5分程歩けば着く場所にある。駐車場はなかなか混み合っているようだ。こんな正月早々にギャンブルなんてしているアホどもめ。

 

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皆が皆、鼻息を荒くしながら舟番を紙に書き込んでいる。

 


ちがうんだよ、みんな。ギャンブルってのは熱くなったら負けなのよ。だから硬めのレースにしっかりかけて少額で勝つ。これが必勝法なのよ。ボートレースは圧倒的に内枠が有利である。搭乗者の実力やモーターの能力なども加味しなければならないが、色々考えると点数が増えてしまう。当たっても負ける、トリガミってやつだ。だから内枠の①.②.③あたり で確実に狙っていくのがセオリーだろう。

 

 

 

 

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結局、大穴に賭けた。当たれば10万超えだ。

 

 

 

もうね、さっきの27万が頭から離れないのよ。ギャンブルは熱くやらなきゃね!

 


ボートレースが始まった。

手に汗握り、画面を周りのおっさん達と見守る。下関ボートレース、頼むぜ!!

 

 

 

 

 

 

レースは①.②.③の着順で決着。結局内枠で決まった。最初っから内枠で買っておけばよかった。だれだよ大穴とか買うやつは。

 


舟券をこれでもかとばかりにビリビリに破いて捨てた。競艇なんて大嫌いだ!!!

 


長門駅に戻って買った角ハイの缶を開けてグビリグビリと飲む。くぅう。負けが胃に沁みる。しばらくして、電車は走り出した。

 

 

 

ここからどこに行こう。

単純に終点の浜田駅を狙うと到着が22時30過ぎになる。そうなっては着いたとしてもお店は全て閉まってしまう。ただでさえ正月&コロナ禍なので行く当てもなくなってしまう。

とはいえ益田駅で降りても21時30。もっと早めにどこかで降りて空いてる店とか無いだろうか。Google mapであらゆる地域の居酒屋、スナックなど検索しまくる。どうやら「東萩駅」で降りると20時すぎくらいに到着出来て、徒歩圏内に飲み屋が数軒あるみたいだ。ここに行こう。長門駅から40分ほどだ。

 

 

これまでの正月の出来事を振り返った。

当たったと思えば八幡製鉄所に持っていかれ、買えたと思ったらトンネルにやられ、やけくそになったボートは固く決まる。

 


人生もギャンブルもまぁこんなものかとふっとため息をつく。負けてるけど、そんなに悪い気分じゃない。1人旅の電車旅、こんなに感情を揺さぶられる思いができただけ楽しかったじゃないか。車窓に写る自分の顔を見た。もう今年で30歳か。生きてたら色んなことあったけど、楽しく生きてこられたな。そしてきっとこれからも楽しいことがあるに違いない。

 


なんてしみじみ想いに耽る。

 

 

 

東萩に着いたらどんなことが待ってるのだろうか。楽しみでしょうがない。

 

 

 

 


つづく

 

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ②

 

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1月1日、15:30。熊本空港に着いた。

 

元旦初日っていつも飛行機が安い。やっぱり年越し前にはみんな帰郷して、一緒に年越しイベントをこなしているのだろう。集団行動が苦手な僕みたいなのが、こうやって元旦の飛行機に乗るのだ。

 


地元の熊本県は抜群にアクセスが悪い。

他の都道府県は空港、主要駅、繁華街が密集しているのに対し、熊本県はその全てが離れている。せめて鉄道で繋がっていれば良いものの、空港はバスか車でないと行けない。立地や予算的なものの兼ね合いもあるのは確かだが、初めてこの土地を訪れる人にとってはショッキングかもしれない。


空港からバスに乗り市内へ。

 

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コロナの影響か、正月だからか、全然人がいない。


しばらく彷徨くと、やたら店から賑やかな声が聞こえるので覗いてみる。ベトナム料理の店で、中はベトナム人100%って感じだ。正月で多くのベトナム人が集まっている様だ。

 

 

 

熊本はベトナム留学生、技能実習生併せて6000人以上住んでいて、県内の外国人最多である。

 


とまぁ、蘊蓄は置いといて、中に入る。香ばしい匂いが立ち昇る。空いてる席を見つけて座ると、隣の席の人が香ばしい匂いの炒め物を食べているので、同じものを頼んだ。

 

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カエルの香草炒め。

 

 

 

鶏肉と変わらない美味さだ。海外の屋台で食べる様な油っぽさもなくて最高に美味い。

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サイゴンビールが香草炒めのピリ辛にちょうど合う。正月はおせちよりカエルだ。

 


ぺろっと平らげて、店を出た。

 

あたりはすっかり暗くなってきた。

ほとんどの店が閉まっているし、することもないので予約したビジネスホテルにチェックイン、ベッドに転がりこむ。

コンビニで買った角ハイボール濃いめ500mlをズビズビと啜りながら競輪。日本の公営賭博ってのは狂っていて、元旦から始まっているのだ。前橋、宇都宮、伊東、などなど全国各地でおっぱじめている。こんな日からギャンブルするやつの気がしれんわ!!

 

とりあえず前橋で3車単フォーメーションで勝負。あっさり負け。適当に買って、負けてしまいスクショも撮ってないし、あまり覚えてない。角ハイが空になったところで寝落ちした。

 

 

 

 

 

 

1月2日。6:00。 目が覚めた。

適当に身支度を整えて、出発。

このホテルまでは前もって予約取っていたけど、ここから先はどこに立ち寄るか、何も決めていないので宿の予約はしていない。

 


たいして金も持ってきていないので、基本的に博打で増やした金で宿を取るのだ。負ければ野宿。1月の寒空の下はかなり冷え込むので、負けるわけにはいかない。

 


朝はコンビニで買ったおにぎりと菓子パンと角ハイボール濃いめ500mlで朝食。毎日相当な量の酒を飲んでいるから早死にするだろう。肝臓に神経があったら痛くてのたうち回ってるにちがいない。

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7:30。熊本駅。久しぶりに帰ってきたけど、帰る度に駅の建物も綺麗になっていく。この先、台湾の大手半導体企業が綺麗な熊本の地下水を求めて熊本に参入してくるので、きっともっとこれから熊本は変わってくるに違いない。

 


ここからはいつものお約束、伝家の宝刀、「青春18切符」の出番である。

 


今日はどこに行こう。とりあえず、北を目指す。今回も長い旅になりそうだ。

 


博多は前も立ち寄ったし、博多の街は路上で野宿しても定期的に心優しい人に叩き起こされるような治安の良さなので、もう行かない。そうだ、小倉にでも行ってみようか。

 


熊本から小倉までおよそ3時間半。大牟田で一度乗り換えるだけなので、あとはひたすら電車の中でぼーっとする時間がやってくる。

2本目の各ハイを啜りながら本を読む。西村賢太の「苦役列車」。この著者の話はどれもこれも気持ちいいくらいの底辺っぷりで、サケと女とバクチに目が無い筆者の実体験を元に小説を書いている。かなり僕が好きな著者の1人である。改めて再読。僕もいつかは本を出したいなぁ。そして出すならこのくらいの底辺っぷりがいいなぁ。でも、酒とか女とか博打が好きって文章なんか書いて周りに知られたりしたら恥ずかしいなぁ。

 

 

 

長い間乗り続ける車内もだんだんと退屈になってきたので、途中下車することにした。

 


小倉より数駅手間の黒崎駅。12:40。

そろそろ腹減った。なにか食べたいと思い、周辺を彷徨く。

 


黒崎の町は八幡製鉄所に近く、昔はそれなりに賑やかな町だったのだろう。駅から扇状に伸びた街並みは商店街がいくつもあった。今では過疎化と正月休みのダブルパンチでかなり寂しい街並みになっていた。

 


駅前に巨大なパチンコ屋があった。

よし。まずはここで金を増やさないと。昼飯はそれからでいいだろう。

 


中に入る。閑散とした店内には年寄りがちらほら。正月からパチンコに勤しむ奴にロクな奴はいない。

 


ガンダムユニコーンの台が空いていた。この台は一撃1500玉、つまり4ぱちで6000円分吐き出す、当たるとデカい台だ。実際計算すると玉を打ち出し続けたり、換金率とか考えるともう少し下がるが。ただ、まぁ当たりにくい。319分の1。ガンダムとかアニメも漫画も知らないし、登場人物もしらないけど、とりあえず大型の重機に乗る作業員の話なのだろう。

 


普段パチンコあんまりしないので、諭吉入れるのはヒヨってしまい野口投入。なかなか玉がヘソに入らず、抽選が開始されない。抽選が始まってもなんのリーチもなく、ハズレ。ダメだ、こんなんじゃ黒崎でまともな昼飯にありつけないじゃないか。さらに野口投入。三人くらい野口が入ったところで、赤保留が。キタキタ。赤保留が来ると当たりを引きやすい。つまりアツいのだ。

 


ながったるいリーチの末、ハズレ。どうやら精神的に異常をきたした作業員が、ユニコーン!と叫んだものの、重機に乗ることができなかったみたいだ。朝起きても会社に出社出来ずに家に引きこもってしまう適応障害の可能性がある。

 


あっというまに7000円負け。ふざけんな。

これ以上は無駄だと思い、店を出た。そのまま黒崎駅に直行。コンビニでハイボールを買い、電車に乗り込んだ。ギャンブルなんて二度とやらん。

 

 

 

それから30分程で小倉に到着。政令指定都市北九州市内で最大の大きさの小倉駅。ここから山陽本線の電車に乗れば、門司を抜け、山口県下関まで行ける。九州の最後の寄り道はここでいいだろう。

 


昼メシはここで食べることにする。

 


小倉駅の南口改札を出て地上階へ。小倉周辺を回るとそれなりの距離があるのでレンタルチャリを使用する。アプリで指定した駐輪場の電動自転車を選ぶと時間料金をクレジット決済するだけで借りることが出来る。時短とコスパのバランスの取れた最高の交通手段である。

 


電動チャリに乗り、信号の色が青い方にひたすらペダルを漕いでいく。風の向くまま、気の向くまま。

 

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アーケード街を外れ少し進むと立ち飲み屋を見つけた。「ももたろう」と暖簾に書かれた店内を覗くと、なんとも味のある雰囲気を醸している。チューハイが安い。こりゃ飲むしかないばい。

 


競輪のYouTubeライブを観ながらチューハイを飲む。美味い。店内の客層は中年のおっさんがほとんどだが、なんかこう、常連って感じじゃなくて、正月で浮かれて家から出てきた中年って感じなので、絡むのをやめた。僕の賭けた2車単流しの福岡出身の競輪選手が大きく捲りを決め、1着。よっしゃ。まだ飲めるぞ。

 


口座に入っている金でネット上で賭けるのに、なぜその場で飲み食いが可能なのか。それはデビットカードを使っているからである。わざわざ銀行に行かずとも勝ち負けの金は口座から直接会計できるのである。なかなか我ながら賢い。プレーンのチューハイと鳥もも焼きを胃袋に詰め込み、店を後にした。

 

 

 

表に置いた自転車に跨る。ももたろうで、近くで安くて美味い店はないかと聞いたら、天ぷら屋があるよ、と教えてくれた。店の従業員に他の店を聞くなんて不謹慎だが、小倉の人柄なのか、優しく教えてくれた。

 

 

 

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天ぷら三品と生ビールで500円は安すぎる。

立ち飲みではなく、カウンター席だった。

 


もちろん昼飲みセットを頼み、生ビールで口髭を作りながら競輪。怒涛の穴の2車複が的中し、15000円。しめしめ。

 


熱々の天ぷらが出てくる。

とり天、人参天、春菊天?(忘れた)の三種。

油っこくもなく、さっぱりとしていて岩塩が合う。競輪の勝ちで気分も高揚し、美味いったらありゃしない。

 


ごちそうさま。表へでた。

腹も膨れたし、散策しますか。

 


自転車を漕ぎ怪しい小道を抜けていく。

なんか怪しい店がたくさん並んでいる。駅のすぐ脇なのに、このディープ感はすごい。

 

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いかにもって感じの、ディープな街並みはほんとワクワクするなぁ。

 


僕が日本各地を旅行するとき、必ず訪れる場所がある。そう、風俗街だ。いや、決して風俗街で遊びたいのではなくって、風俗街というのはその土地の歴史に密接に関わっているからだ。ほんとだぞ。

 


突然たまたま風俗街というのは生まれるものではなくて、そこに石炭や鉄資源などの採掘場ができて発展した結果だったり、船舶の外交の盛んな街であったりと、必ず理由があるのだ。そして現代に至るにつれて都市一点集中化していく中で地方の風俗は衰退していく。

 


栄枯必衰。

 


そんな一連の歴史のドラマを肌で感じることができる。内外装の同時改築ができない風営法の縛りもあって、ソープランドは昔の外観のまま残っているのだ。

 


小倉駅から自転車で5分も行くと小規模のソープ街が現れる。小倉船頭街という地名は、その昔本州と九州を船で渡す際の船頭が多く住んでいた街だからである。中洲の次に大きい風俗街だ。

 


二筋の小道に並ぶソープの店舗。建物もノスタルジー全開で、アンティーク好きには堪らない。

店の軒先にはそれぞれ客引きのおじさんが立っていて、「姫はじめはいかがですか?」と声を掛けてくる。ちなみに姫はじめとは一年の最初のセックスのことだ。逆に年の最後のセックスを姫おさめと呼ぶ。なんとも風流だ。

 


だが僕は、そんなものには興味ないのだ。無視する。

 


そんな時、小道の角の店の入り口にいた、パイプ椅子に座った初老が話しかけてきた。

 


「いい雰囲気の街ですよね。ここは。」

 


明らかに他の客引きとは違う雰囲気の初老だった。

 


「そうですよね!僕、日本中旅していて、こういう風俗街のアンティークな街並みを眺めるのが好きなんです。」

 


そこからその初老とこの小倉船頭街について語り合った。昔はもっと店が多くて、沢山の人がごった返していたとか、まだ初老が小さい頃からこの辺りに住んでたんだよとか、沢山初老の昔話が聞けた。思わず引き込まれる様な、独特な喋り方に、僕は魅力されていた。初老は言った。

 


「ぜひ、中でゆっくり、アンティークを感じていきませんか?」

 


ここまで魅力的に話す初老の話、せっかくだからもっと聞かせて欲しい!僕はうんうん頷いて初老に連れられたが、結局ここはソープランドなのであって、部屋に通されてから出てきたのは話してた初老じゃなかった。

とんでもないババアが出てきて八幡製鉄所みたいな顔してた。確かにアンティークなのは確かであったが、アンティーク好きというのは、そういう意味じゃない。とんでもない姫はじめ、いや、婆はじめになった。

 


「また来てください。」

 


そう声をかける初老を無視して、僕は自転車に乗って小倉船頭街を去った。漕ぐペダルに力がこもる。目頭が熱くなる。この日、僕は、いろんなものを失ったようだ。

 


旅の恥はかき捨て。このことは誰にも言わずに墓まで持って帰ろう。そう、誰にも知られてはいけないのだ。

 


小倉駅前まで戻って、さぁ電車乗りますか、と思ったらまだ電車の時刻までだいぶ間がある。ここはとりあえず鉄なべ餃子でも食べますか。

 

 

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一口サイズの餃子。

福岡って言ったらこれよね。

そしてハイボールが良く合う。

 


ぺろっと平らげて、駅へ。

 


なんか色々あったけど、

嫌いじゃないぞ、小倉。

また来たい街、小倉。

 


もしまた来たら今度こそ

姫はじめだな。

そう胸に誓う。

 


電車が走り出す。ここから下関まで乗り換え無しだ。ここでまたハイボールのプルタブを開けて啜りながら競輪。 さっきの勝ち分が何故か無くなってしまったので(何故だろう)また勝負に出る。2車単フォーメーションに2000円ずつ。結果が出るまでドキドキしながら夕日を眺める。

 

 

 

 

 

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きたきたきた。

完全に取り返せてはいないが、まぁいいだろう。

 

 

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17時。18キロもの関門トンネルを抜け、本州へ入り下関に。夕日が彦島の山の奥に沈んでいく。

 


ちょうど2年前の正月も下関から沈む夕日を眺めていたのを思い出した。正月企画!青春18きっぷ一人旅 熊本〜大阪 1 - しらぼ、あれから2年。さまざまな思い出が過ぎるが、夕日は2年前と全く同じ様に沈んでいく。なんだか不思議に思えた。

 


2年前はここから下関を彷徨いたりしたが、今回は下関で途中下車はしない。下手に時間を過ごしてしまうと、大変な目にあうのだ。

 


2年前に乗ったのは瀬戸内海を眺めながら山口、広島、岡山、兵庫を通る山陽本線

そして今回は山口、島根、鳥取を通る山陰本線山陽本線に比べると山陰本線はあまり大きい町に留まる駅が少ない。終電を迎える駅が周りに何も無い無人駅だったりすると退屈な夜を迎えてしまうのだ。失敗は許されない。まさに陰と陽。

 

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ここから途中下車無しで6時間フルに乗り続けても主要駅は長門、萩、益田、と続き、浜田駅で終電となる。出雲まで行けば栄えているが物理的に無理だ。つまり今夜はこの道中のどこかで寝ることになる。一月だが寝袋はあるので、基本的にどこにでも寝れる。日本の治安の良さに感謝、である。

 

 

 

発車のベルが高々と鳴り響き、電車がゆっくりと動き出した。

さあ、物語は山陰本線編に突入だ。

 

 

 

つづく

 

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ①

 


年が明けた。

2021年はコロナでワクチン打ったり知り合いが違うワクチン打っちゃったりオリンピックだったりと変化の多い一年だったが、僕といえば淡々と夢の国に通っては夢のない仕事を続け、家に帰ってはYouTubeやらNetflixやら Xvideoやらを廻し観るくらいの平凡な一年であった。

 


さて年越しといえば旅でしょ、みたいな感じで今年も元旦から旅行にいくことにした。2021年のつまらない一年を払拭してくれるような、刺激的な旅にしたかった。やっぱり、年の初めはなにか縁起の良いことをしないと。

 


年明けの縁起、といえば「一富士二鷹三茄子」である。所説あるがその昔、徳川家康が好きだったものベスト3が富士山と鷹狩りと茄子だったらしい。

 


いや、ちょっと待ってほしい。今は亡き知らんやつの好きなものベスト3とか全く興味ないし、仮に現存するアイドルとかが好きなものベスト3の一つがタピオカミルクティーとか言われても困る。非常に困る。マジ知らんばい。

 


じゃあ何が縁起がいいのか。これは至極簡単な話だ。自分自身の好きなものを3つ挙げればいいのである。だって、価値観ってみんな違うでしょ?

 


ここまで読んで、ははん、タイトルの意味ってこれか。ってなった人、IQ150くらいあるから誇って良い。その辺の刑務所とか兄貴と一緒にあっさり脱獄出来るくらい頭いいよ。きっと。

 


僕の好きなものベスト3は

 


1エロ

2サケ

3バクチ

 


だ。マジで終わってる底辺みたいなベスト3。カイジとかだったら鉄骨渡ってるか、地下深くで労働してる感じだ。

 


こんな初夢狙ってみれるもんじゃ無さそうなので、今回の旅行で体現できれば良いな、そのくらいの気持ちだ。では、前振りもこのくらいにして、早速書いていこう。

 

 

 

 

 

 

 


元日。朝7時の歌舞伎町。路上には大量のゴミが散らばっていて、黒人とゲイとホストと地雷嬢がちらほら。歌舞伎町の安定感はすごい。旅はここから。年末もなかなかにハジけてしまったので数日の間歌舞伎町に寝泊まりしてたのだけど、長くなるので割愛。

 


カウントダウンに知らない外国人達とシャンパンを路上でぶちまけながら過ごした記憶がほんのりとだけ残っている。

 


二日酔いの頭の中で思考を巡らせる。

 


年明けは早速博打といきますか。

 


この早朝から開いてるパチンコもスロットも無いから、インターネットカジノ(通称インカジ)に行ってみよう。

 


インカジとは、現金をオンライン上でチップに替えて、画面上で行われるトランプのバカラとかブラックジャック、カジノにあるルーレットなどをプレイし、増えたチップの増減に対して現金で配当を受け取る、というものだ。

 


もちろん、非合法。だから、その辺に看板でお店の場所の案内も無く、場所が警察に簡単に特定出来ない様になっている。そんな刺激的な非合法賭博場、行かない訳がない。

 


実際に探す事にした。噂ではかねがね聞いていたが、実際に行ったことも無い。どこにあるのかさっぱりだ。路上にいるキャッチに尋ねてみた。20代半ば位の風貌のキャッチの男は場所を分かっているらしく、「お客さん、初めて?」と聞かれ、頷く。男は何者かに電話した後、ついて来てください。と言って歩き出した。

 


彼と歩いて1分もしないところにある雑居ビルの中に入った。地下2階。ビルの看板には何も書かれていない。沈黙を守る扉の脇にはインターホンが付いている。おそらくこのインターホンで人の出入りを管理するのだろう。

 


中に通され、名前を尋ねられる。偽名で構いませんので。と言われたが、偽名なんて普段から用意してないので普通に本名で答えた。今後は名前をインターホンで伝えれば、キャッチに聞かずとも入れるのだとか。

 


中は20坪程の広さで、パーテーションでいくつも仕切られていて、その一部屋ごとにパソコンが置かれていた。その前の椅子に通される。女性スタッフが来た。飲み物を聞かれ、アイスコーヒーを頼んだ。もっと暗闇でタバコの煙モクモクで怖いお兄さん達に挟まれながら博打をするもんだと勝手なイメージを持っていたが、全然違った。下手なカフェより整っている。

 


すぐにアイスコーヒーが運ばれてくる。遊び方が分からない僕に気づいたのか、スタッフが丁寧に使うカジノゲームのアプリを開き、説明してくれた。数種類あったが、とりあえずバカラを選ぶ。スタッフに1万円を払うと、画面上のオッズが13000と表示された。3000円分は初回のサービスなんだとか。

 


バカラはとてもシンプルなゲームだ。

プレイヤーとバンカーに分かれて勝負するゲームで配られた2枚(追加で1枚引く事もできる)のカードの合計の下2桁が9に近い方が勝ち。プレイヤーが自分、という訳ではなく、プレイヤーかバンカーのどちらを選び、そこに賭けるという感じだ。僕の説明で分からない人は、ググればいくらでも出るので調べてほしい。

 


画面上にはどこかのカジノのテーブルが映されていて、プレイボーイの表紙みたいな金髪女が座っている。オンライン上のディーラーの様だ。この映像を通して、様々な国や場所で賭場を開いて賭け事が行われているみたいだ。

 


早速賭ける。

プレイヤーに500円分。とりあえずやったことないから様子見である。

 


30秒くらい経つとベット時間が終わり金髪女がカードを捲る。プレイヤー側。合計14。もう一枚捲る。6が出た。20。つまりゼロだ。

バンカー側。合計で18。つまりバンカー側が勝ちであり、僕の500円が金髪に吸い込まれたって訳だ。

 


それから何度か繰り返していく内にあれよあれよとオッズが消えて10000円に戻った。

 


こりゃあだめだ、金髪にやられたわ。

 


バカラを辞めてルーレットに変えた。

ルーレットは韓国に行った時に体験済みなので賭け方は分かる。(説明書くの省略します)

今度は竹ノ塚のフィリピンパブの子みたいなディーラーが出てきた。

 


僕はだいたい24と27の周りに賭ける。時に理由は無い。自分でラッキーナンバーだと思い込んでるからだ。

 


これまたあれよあれよとやられてしまい5000円に。こりゃあまいった。作戦変更、である。

 


赤か黒かの二択に賭けよう。

勝っても微々たるもんだが、確率は高い。

あっけなく減るのは惜しくなって一回1000円ずすつベットしていく。

増えたり、減ったり、増えたり、減ったり。

なぜかうまいこと辞め時も来ないし、0円にもならない。ただただ時間だけが過ぎる。

 


手持ちが6000円になったところで勝負に出ることにした。全ベットぶち込みだ。勝てば12000円。少しだけ増えて体験もできて満足出来る。負けたら0だけど、しゃあない。元旦の時間の方が貴重だ。

 


そして、僕には策があった。ここまで適当に赤か黒に当てずっぽうに選んでいたが、ふと気づいたことがあったのだ。画面には過去の数字や色の履歴が表示されるのだが、赤が3回連続で来た時の次は黒が来ている。その逆もそうで、このディーラーが回すと必ず4回連続は同じ色が来ていないのだ。

 


そして、手持ち6000円になった今、ルーレットは3回連続で黒が出ていた。唾を飲み込んだ。

 


次は、赤だ。間違いない。

 


赤に6000円ベットする。

なんだ、簡単じゃないか。世の中は確率なのだよ。所詮。いままで適当に選び続けていた自分がなんと愚かだったことか。やっぱり勉強って必要なんだな。小学生の時算数得意で良かったわ。

 


竹ノ塚フィリピンパブ女が転がした球が次第に勢いを失い、ポケットのフレームに数回当たって弾んだ後、球はポケットに収まった。

 


黒じゃなかった。

 


0だった。

 

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そう、ルーレットの盤面の0と00は赤でも黒でも無いのだ。19分の1。

 


0のポケットに入った時、僕のポケットも0になったのである。

 


なに上手いこと言ってるんだ、とぼやきながらチェックアウトした。また来てくださいとスタッフに言われたが、多分もう来ないだろう。

 


表に出てゴミの臭いが鼻につくころには朝の9時になっていた。意外と長くやってたんだな。

 


よっしゃ元旦からギャンブルだぁ。なんて浮かれていたせいですっかり忘れていた飛行機の時間を思い出した。昼から飛行機で熊本に行く。今年も正月から旅に行こうと決めていた。

 

 

 

僕は歌舞伎町を後にした。そう、旅はここから始まるのだ。これから空港に向かい、飛行機で熊本を目指す。

 

 

 

 


つづく。