しらぼ、

松本まさはるがSFを書くとこうなる。

初夢は1エロ2サケ3バクチ  ⑤

「ここからすぐ近くなんです。」

 


スタスタと歩く信雄さん。もう78歳なのにあれだけ呑んでこれだけ歩けりゃ元気だな。と背中を見ながら感心した。

 


2分程歩くと、すぐに信雄さんの実家に着いた。

 


「ここです。」

 


と言って信雄さんが入った家は、なんとも立派な造りの建物だった。

 


え!?これ家なん!?

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古い家ですがウチでよければ、、って言ってたけど、古いもなにもめちゃくちゃ素敵な家じゃないか!建築物マニアの僕にとってはお宝である。

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中に入ると吹き抜けになっていた。さささ、こちらへ。信雄さんに導かれるままついていく。

「結構古い家なんですよ。江戸時代くらいのですね。それから何度か改築されてますけど、ほとんど昔のまんまです。」

 


畳に上がり、いくつもの部屋を見て回る。

部屋の間の梁が太く美しい。江戸時代頃の建築物だとすれば、身分によって住める家の造りや大きさに区別があるので、かなり高名な家柄の持ち主なのだろう。信雄さんは満州から引き揚げてから移り住んでいるので直系親族ではないかもしれないが。迎え入れられるだけの家柄だったに違いない。

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階段(リフォーム済)を上がり二階へ。板貼りの部屋がある。江戸時代は酒屋、明治時代には商工会議所として使われていたらしく、かなり大人数が寝食して過ごせる広さになっている。

 


そしてまた一階の吹き抜けの小上がりのところに行くと、信雄さんイチオシの小窓の説明が入る。

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「暑い日はこうやって紐を引くと高窓が開くカラクリになってるんですよ。」

紐を引くことで滑車越しに高窓がギィギィと音を立てて開く。

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建物の造りに温度差換気というのがあるが(重力差換気ともいう)簡単に言うと熱い空気は軽く、冷たい空気は重い。部屋の中の空気も上に行くほど高くなり、下に行くほど冷たい。この原理を利用するには部屋の高い場所と低い場所に空気の出入り口を設ければよい。室温の調整と共に、換気扇などなくても勝手に空気が流れるようになっている。式にするとこうなる。

 

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もちろんこんな方程式は江戸時代には存在しないが、生活の知恵として使われていた訳だ。

 

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一通り部屋を案内してくれた後、居間で布団を2人でひいた。灯油ヒーターも出してきてくれたので、全然寒くない。

 


「本当にありがとうございます!」

 


時刻は夜の11時を回っていた。2人ともだいぶ痛飲したので、すぐさま横になり、眠りについた。畳の香り、柱の香りがなんとも心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月3日 朝6時。

 


気持ち良い目覚めだった。あれだけ呑んだのに二日酔いにはなっていなかった。信雄さんに勧められてシメにお茶漬けを3杯も食べたからだろう。

 


僕がゴソゴソと布団から出て厠にむかうと、信雄さんも起きた。

 


「おや、早いんですね。おはようございます。」

 


「あっ、おはようございます!夜はめっちゃ寝れましたよ!」

朝起きた時に僕の股間が完全に膨らみ上がっていたから信雄さんに見つかると変に気まずいなぁ、と思って少し焦った。酔っているときならむしろポロローンって出しちゃうんだろうけど、シラフではそうはいかない。

 

 

 

それから荷物をまとめ、(股間もまとまった)布団を畳み、長居すると今度は朝食までご馳走になっちゃいそうなので、すぐに発つことにした。

 


「信雄さん、本当にありがとうございました。一宿一飯(酒いっぱい)のご恩、決して忘れません!!」

 


正座して深々と頭を下げる僕を見て少し驚いたのか、信雄さんも、

 


「まぁまぁ、気にせずとも。またいつでも遊びに来てください。私もちょこちょこ萩に帰って来てますから。」

 


信雄さんに手を振られながら別れを告げた。

 

 

 

後日談だが、信雄さんは山口県萩で精力的に活動するプロのカメラマンさんだと知った。

 

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下瀬信雄(しもせ・のぶお) 1944年、旧満州生まれ。東京綜合写真専門学校卒。山口県萩市で作家活動を続ける。2005年、伊奈信男賞受賞。15年、土門拳賞受賞。主な写真集に『萩・HAGI』『萩の日々』『結界』など。

 

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信雄さんの作品。

 


萩を中心に山口県のさまざまな風景の作品を創作している。気になる人はぜひ、山口県立美術館か、Nikonサロン等に行ってみてください。

 

 

 

 


暗くてわからなかったが、朝になって見ると、この通りの一帯は信雄さんの家くらい立派な造りの家が幾つも並んでいた。なんか事情でもあるのかなと歩きながらググったら、萩城城下町というユネスコ世界文化遺産の町並みだった。以下抜粋。

 


萩城城下町

ユネスコ世界文化遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成の一部です。豪商の商家や高杉晋作の生家、木戸孝允の旧宅など、明治維新に関する見所もあります。伝統的な景観が保たれており、街歩きしても楽しいです。繁華街とは言えませんが、落ち着いた雰囲気の一角に陶器屋さんであったり、甘味処などもあるので気ままに歩けます。

 


とある。そんなところだったのか!と驚きながら読んでいると、信雄さんの家も載っていた。信雄さんの家は萩市景観重要建造として登録されていた。

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野宿するつもりだったのにこんなところに泊まれるとは思ってもいなかった。旅とはなんと数奇なものか。近所には高杉晋作の通った寺とか木戸孝允の家とかもあった。

 


あっ、ということは、松下村塾が近くにあるんじゃないか?と思って調べてみたら歩いて行ける場所にあった。何も考えずに萩に来たけど、見どころ盛りだくさんじゃないか。大好きな作家、司馬遼太郎先生の作品「世に棲む日々」といえば吉田松陰高杉晋作の話である。舞台はまさに萩。電車に乗る前に行ってみることにした。

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20分くらい歩くと、松下村塾に着いた。すぐそばには松陰を奉った松陰神社もあり、そこの巫女さんが朝から掃き掃除をしていた。他にも歴史館や旧宅なども近くにある。

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これが実際の松下村塾。元は吉田松陰のおじさんが開いた私塾で、26歳の松陰は2年くらいここの松下村塾で教鞭をふるい、高杉晋作伊藤博文などの今後日本を大きく転換させゆく人物の教育に当たった。30歳になる歳の時に安政の大獄で江戸で処刑された。

 


つまりは処刑された時の松陰と2022年の僕は同い年なのだけれど、生きてきた功績としては雲泥の差である。松陰はルーレットも競輪もソープもやらないのだ。

 


僕は彼のような大義は果たせないかもしれないけれど、僕なりに悔いのないように生きていきたいとおもいました。(作文風)

 


学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。 

 


吉田松陰の名言もいくつかあるが、僕は個人的にこの言葉が好きだ。学校で学ぶことじゃなくて「どのように生きていくか」を学ぶのが学問なのだと。僕なりに解釈している。

 


今は亡き偉人達がかつて国を想い、語りながら眺めていたであろう松本川のほとりを歩きながら、僕は東萩駅に歩いて戻った。正月の空は澄み渡り、どこかで鳥の声がした。

 

 

 

 


つづく