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しらぼ、

松本真青がSFを書くとこうなる。

無くしものをしないようにしよう

目標を立てた。

 

あれは確か小学生の頃だったろうか。クラスで月毎に1人ずつが目標を立てるのだけど、「たくさん手をあげて発表する」「ろうかを走らないようにする」といった他のクラスメートの目標に対して、僕の「無くし物をしないようにしよう」という目標はやや異質だった。

ただ、結局は月毎の目標を立てたところで、掲げた目標などすぐに皆忘れていて、手を挙げるどころか居眠りする奴、廊下をリオオリンピックのジャスティン・ガトリン並みに全力で駆け抜ける奴、そして物を片っ端から無くしまくる僕がいた。

目標という壁を乗り越えてこそ達成できるものだが、あの目標を掲げてから10年以上も経つが、未だに忘れ物や無くし物が後を絶たず、未だ達成されていない唯一の目標となっている。その後の人生で立てた数々の目標の中ではある意味、1番的を得ているのかもしれない。

 

 

 

…と、ここまで書いたところで、ようやく僕を乗せた電車は福岡の県境を越えて、故郷熊本に入った。

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毎年、お盆や正月のシーズンは運賃も倍程に上がり、帰省ラッシュにのまれるのも目に見えていたので、こんな時期に田舎に帰る奴はお中元にハムを押し付ける阿部寛か、キチガイだけだと思っていたが、遂に僕もお盆に帰省することにした。

無論、倍以上もする運賃では飛行機も新幹線も乗ることが出来ず、青春18切符を利用した。青春18切符というのは、在来線なら終日乗り放題で、何度でも途中下車が可能な優れもの。ただし注意点は券が一枚だけなので、紛失すると使用できない事と、新幹線や特急には乗れないので、長距離の移動には全く向いていない。

東京から夜行列車ムーンライトながらに乗り込み、名古屋からは鈍行で熊本を目指す。途中の乗り換えの待ち時間も含めると熊本まで30時間くらい掛かるだろうか。こんな方法で帰省する奴は間違いない。キチガイだ。

そして3日目の早朝、博多始発の電車に乗り込み、熊本への電車に乗ると、懐かしい景色が見えてきた。それは南荒尾駅から川尻駅までの景色である。僕は通勤通学には電車は一切使っていないが、ある時期に川尻〜南荒尾駅間のを使っていたのを思い出した…

 

 

 

 

あれはまだ16歳の頃だった。

僕は恋愛をしていた。同い年の彼女だった。まだスマホなんて物も無くてガラケーでメールを打ちあい、絵文字のハートがEメールで届く度に愛を確かめ合っていた。

 

高校が一緒ならば登下校で一緒になったり、お昼休みに一緒に弁当を食べたり出来たのだろうけど、僕と彼女は高校も違えば、住む場所も遠かった。免許なんて勿論無くて、自転車しかない僕にはその距離は途方もなく遠かった。

 

唯一の会う手段が電車だった。僕の家の最寄り駅が川尻駅、彼女の家の最寄り駅が南荒尾駅で、片道1時間弱、往復で1880円掛かった。

とてもじゃないけれど、この距離は16歳の男女には遠かった。電車の時間は百歩譲ったとしても、往復の1880円は最低時給630円の熊本では到底通える額じゃなかった。

 

だが、そこはまだ十代の若さがあった。じゃあどうするかというと、南荒尾駅が無人駅であることを利用して、正規の金額を払わずに下車するのである。川尻駅から210円で熊本駅行きの切符を買い、そのまま南荒尾まで乗って行く。無人駅なので降りた後は支払いもせずにそのまま駅を出てしまうのだ。そして、帰りは切符を買わずに電車に乗り込み、川尻駅で「熊本駅から乗ったけど、切符を無くした。」と駅員に告げるのである。これで420円。正規よりも1460円安くすることができるのである。なんとも人道から外れた行いだ。

 

それからは420円で彼女に会いに電車に乗るようになった。

 

しかし人間とはなんと強欲な生き物なのか、この420円すらも惜しくなってしまったのである。

そう、週に三回も行き来すれば、1260円も掛かってしまうのだ。これをどうにか安く出来ないものか。そう考えてしまったのである。

 

それにもう一つ、この420円で行く方法では、毎回川尻駅で下車する度に駅員に切符を無くしたと告げなければならない。

 

ある日川尻駅から改札を通ろうとすると、駅員のおっちゃんが話しかけてきた。

 

「最近よく見るけど、にいちゃんはいつもどこに行きよると??」

 

きっとおっちゃんは怪しんでいるというよりも、通勤通学でもなさそうな若者が電車を使うのが余程珍しいと思って声を掛けたのかもしれないが、後ろめたい気持ちを抱えた僕は冷や汗をびっしょりとかいた。

 

「あ、彼女に会いにいったんです。」

 

と、一言だけつげて、僕はそそくさと改札を抜けてに駅を出た。これではバレてしまうのは、もう時間の問題だ。

 

そこで考えたのは、壁を乗り越える方法だった。帰りの電車で川尻駅のホームに降りた後、タイミングを見計らって改札の駅員から離れた位置で壁を乗り越えて切符を買わない方法であった。これだと駅員に怪しまれる事もなく、一回の往復で必要な金額も210円になる。一石二鳥である。

 

とことん味を占めた僕はそれ以後は何度も何度も壁を乗り越え続けた。人としての善悪すらも乗り越えていた。人間、悪事も繰り返すと不思議なもので、最初に抱えた罪悪感だとか、持っていた倫理的な感覚も狂ってしまう。もう当然のように、乗り越えて帰っていた。

 

そんなある日のことだった。夜8時ごろの人気のないホームから壁を乗り越え、川尻駅の前を通った時に、突然声を掛けられた。あの、以前声を掛けてきたおっちゃんだった。

 

「ちょっと、こっちおいで。」

 

そう呼びかけるおっちゃんは怒っているようにも見えず、逃げ出せばよかったものの、僕は呼ばれるがままに駅の構内に入っていった。もうなるようにしかならないよね、と思った。


「にいちゃん、彼女さんとこの帰りね?」

 

おっちゃんは咎める訳でもなく、怒る訳でもなく、どこか淋しそうな目で僕を見ながら言った。

 

「…はい。」

 

「俺も若い時、にいちゃんくらいの時はよく悪さしとったよ。でもね、にいちゃん、それじゃあ彼女さんは会っても本当に喜べるのかな?」

 

つぶやくように語るおっちゃんに、僕は何も言えず、ただただ俯いていた。怒られるよりも、語りかけるおっちゃんの言葉の方が、ずっしりと重く感じた。

 

「にいちゃんは、どこの駅まで行きよっと?」

 

「…南荒尾です。」


ふぅ、と小さくため息をついたおっちゃんは座っていたパイプ椅子から腰を上げて歩きだした。そのまま自動券売機の前に立った。僕はその場で立ち尽くしたまま、待っていた。料金の精算を請求されるのだろう。

 

おっちゃんはズボンのポケットからおもむろに黒い萎びた革財布を取り出し、お金を券売機に入れていく。
再び僕の方に戻ってきたおっちゃんが言った。

 

「にいちゃん、とりあえずこれで今度から彼女さんに行くたい。」

 

おっちゃんから渡されたのは川尻駅から南荒尾駅の定期券だった。僕は訳が分からなかった。

 

「え…?これは…」

 

「定期券だけん、ずっとは使えんけど、しばらくはこれで行けるど。もう変なこつはするなよ。ほら、もう遅いけん帰れ。」

 

ニッとはにかんだ顔で僕の顔を見るおっちゃん。まさか、定期券を譲って貰えるなんて思ってもみなかった。

 

貰った定期券をポケットに入れ、駅に止めていた自転車に乗り、ペダルを踏み込んでいく。田舎道の羽虫が時折顔に当たるのも気にならない位に、僕の心はショックを受けていた。過去に大人から怒鳴られたりする時よりも、心の中のずっと深い所に、スッとおっちゃんの言葉が染み込んで来た。


僕は自分がズルいことをしていくうちに、心の「大切な何か」を無くしてしまっていたのだろう。とっても、無くしてはいけないものを。それをおっちゃんは僕に思い出させてくれたのかもしれなかった。


なぜおっちゃんは見ず知らずの僕なんかに、定期券を買ってくれたのか。しかも距離が距離だから金額も相当なものだったに違いない。自分が情けなくなって、ボロボロと涙を流しながら僕はペダルを漕ぐ足に力を込めた。夏の夜は涼しかった。

 

家に帰り着き、家族のいる居間には行かず自分の部屋に直接入った。泣いた後の顔を家族には見せたくなかったからだ。
ポケットに入れた、おっちゃんに貰った定期券を取り出そうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 


無くしてた。

 

 

 


と、そんなことを思い出しながら電車の車窓から外を眺めていると、川尻駅に着いた。あれから何年も経ったいま、あのおっちゃんは今もいるのだろうか。

 

扉が開いて、夏のムワッとする熱気と入れ替わるようにして僕はホームに降りて改札に向かった。

 

改札には若い駅員さんが1人いるだけで、あのおっちゃんは居なかった。もしかしたらもう定年になったのだろうか。

 

もし、もう一度会うことが出来るのなら、あの時のお礼を言いたかった。仕方なく、ポケットに入れた青春18切符を駅員に見せて改札を出ようとした。

 

 

 

 

 

 

 

無くしてた。壁でも越えるか。