笹塚のカフカ
三種の神器という言葉はみなさんにも聞き覚えがあると思う。元々は歴代天皇に伝わる八咫の鏡とか八尺瓊勾玉とか草那芸之大刀といったものであるが、みなさんが聞き覚えがあるのは、戦後の家電製品ブーム時代の方だと思う。
1950年代後半の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。これら生活必需品となった家電製品は、高度経済成長期の慌ただしい時代においては、国民にとっては天皇の三種の神器よりも神々しいものだったのでは、と思う。
さて、昨今、様々な技術が進歩した。
僕の職場の先輩が四六時中LINEの人工知能AI「りんな」とLINEしている姿を見ていると日本国家の終焉は近いものだと感じてしまう。助けて、りんな。
しかし、これらスマートフォンなどは、結局のところ、過去の三種の神器が揃ってこその必需品となるわけだ。マズローの自己実現理論のピラミッド図のように、三種の神器が満たされた上で、次の家電を求めるようになるのだ。
先日、我が家のPanasonicの洗濯機が購入から2年程経ったころ、ついに壊れてしまった。エラー表示が出ていて、黒い小さなディスプレイに【H51】と表示されている。意味が分からん。
もう、にっちもさっちもいかない。
じゃあ仕方ない、とりあえずコインランドリーに行くかと思い立ったが、近所の銭湯「栄湯」のコインランドリーが、なんと急遽同じタイミングで4日間の長期休暇に入ったのだ!!(怨恨の為今回は銭湯の店名は公表して書く)
そのとき同居人のY氏は呟いた。
「我々は神に見放されたのだ。」と。
結局、にっちもさっちもいかないので、
浴槽に洗濯物をぶち込み、少しのお湯と洗濯を入れて足踏みするY氏。
その姿はエジプトのベニハッサン村に残る紀元前2100年頃の壁画の洗濯の様子を彷彿とさせた。
このまま時代に逆行して、僕らは洗濯物を浴槽で足踏みする生活を送るのか、と思うと戦慄したし、逆に足踏み当番表なるものを作成して、ルーレット方式で足踏み当番を決める、などなど考えると新しい生活にワクワクもした…。
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週末、桜の花弁もあらかた散り過ぎて、ライトグリーンの新芽を出してきた頃、僕は○美とのデートを約束していた。
二人の出会いはまるでドラマの様だった。
笹塚フレンテの4階の図書館の本棚のとある一列で、背伸びをして必死に本を取ろうとしている女の子。
僕が代わりに取ってあげると、女の子は可愛いえくぼを見せて、僕に「ありがとう」と言った。
「あ、これ僕読んだことありますよ。」僕は思わずそう言い、お互いに好きな本の話をした。
女の子は○美という名前だった。
いつの間にか、週末にデートの約束をした。一緒に好きな本を持ち寄って一緒に海辺のカフェで読書しようと。
次第に僕は○美を好きになっていった。
いや、きっと違う。あの日、○美の可愛いえくぼの笑顔を見た瞬間からに違いない。
「お待たせ〜」
ちょっと小走りでやってくる○美。
少し天然なところがあるのかもしれない雰囲気は何処となく可愛い。
海辺のカフカに掛けて海辺のカフェに行こうと考えたのだけれど、都内で探すのには一苦労した。結局豊洲近くのオープンテラスのあるカフェにした。近くでは緑化フェンスを貼っている作業員の姿が見えた。東京湾は曇り空で灰色の海だった。
席に座り、たわいのない話をする二人。
ゆっくりとした時間は何故か、早く進んでいく。まるで見た目には穏やかな海のさざ波が、実際にはその水面下ではものすごい潮の流れがあるかの様に。
「まさくん、今日は夜も一緒に居ていいかな?」
そう○美が僕に聞いた時だった。
不意にケータイが鳴る。LINEのメッセージだった。メッセージを開くと同居人Y氏からだった。
『今日は君が洗濯の足踏み当番だ。』
そのメッセージを読んだ時、一気に夢から覚めた心地がした。もう、○美とは一緒に居られない。僕は、帰らないといけないんだ。僕は呪いをかけられているんだ。ルーレットで選ばれた者は同居人の洗濯物も一緒に足踏み洗濯しなければならず、交代は許されない禁忌なのだ。
「○美ちゃん、ごめん、僕、帰らなきゃ…」
突然の展開に、目を丸くして驚く○美。
「えっ?なに?どうしたの??」
「実は、、」
説明をする僕。こんな話信じてくれないだろうと思っていたのに、○美は大真面目な顔付きで聞いてくれていた。
「そうだったんだ、まさくん…。あ、じゃあ、こうしたらいいよ。」
○美は僕にこの呪いから逃れる方法を教えてくれた。僕はその夜、深夜バスで東京を飛び出し、家出を決行した。いきさきは四国の高松。僕はそこで降り、高松の私立図書館に通いだす。
オオタケもまた都内の笹塚から少し離れた中野区の南台に住む知的障害のある中年だった。通称、「鬼殺し」を好んで飲む建築作業員を殺害し、東京を離れた。オオタケはトラック運転手のオノの力を借り、「入り口の石」を探し始める。
僕はその後警察に追われ、森の中に身を潜め、旧帝国軍のコスプレイヤーと出会い、川のある町にたどり着く。
その後最終的には家出しててもしょうがないやと決意、僕は新幹線で岡山から東京に帰ったのだ…。ってこれ海辺のカフカじゃねえか。オオタケさん関係なくなったし。
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そんな妄想から覚めた僕はまだ洗濯機の前に佇んでいた。
一度思考を戻してみる。
そもそも、何故洗濯機が今回壊れたのだろう。