高畑裕太の逮捕に先駆けて物申す
先日、日本のメディアを衝撃が駆け抜けた。
23日未明、前橋市内のビジネスホテルで女性従業員に乱暴しけがをさせたとして、俳優の高畑裕太容疑者が逮捕された。
警察によると、ホテルの電話を使って女性従業員にアメニティの歯ブラシを自分の部屋に持ってくるよう依頼し、従業員が部屋の前まで来たところ、無理やり部屋に連れ込んだ。また、調べに対し「女性を見て欲求が抑えられなかった」と供述し、容疑を認めている。
事件があったホテルには、映画の撮影のため宿泊していて、部屋に入る前はスタッフと酒を飲んでいたと話しているということで、警察は、当時の状況を詳しく調べている。
(ニュース記事より抜粋)
僕はからっきしメディアとか見ないから、親子揃ってまぁ!なんて顎のしゃくれたやつだとくらいしか思っていなかったのだけれど、バラエティで人気を得ていたものだから、あらまぁ!(貴婦人声)しかも強姦だなんて!ってお茶の間でもなる訳ですよ。あんな好青年が!ってなる訳ですよ。逆にこれがグルメリポーターの彦摩呂くらいがホテルで「アメニティの宝石箱やぁ!」だと、ふーん。くらいで終わるものかもしれない。イメージが正統派だっただけにそのギャップが大きくてこれからの非難轟々は避けられないとおもう。
でもね、ちょっと待ってくださいよ、そんなメディアからなにから、みんなで叩くのはイジメですよ。せめてほんのちょっとでもいい、裕太の肩を持つ少数派が居てもいいのではないか、僕はそう思うんです。そりゃあ22歳のヤンチャ盛りな時期でもありますし、犯罪は犯罪だけども同じ男としてはどこか同情する部分もあるじゃないですか。電車に揺られるサラリーマンのお父さん方も心の中では一度や二度は目の前に吊革を掴んで立っているアメニティを求めるような妄想も繰り広げていた筈です。お父さん、分かるでしょ?
という訳で、今回の「先駆けて物申す」は前回の相武紗季さんに対する非難とは趣を変えてみます。
相武紗季の結婚に先駆けて物申す - しらぼ、(過去記事タグです)
様々な視点から事件の情状酌量を見つつ、メディアとしてのイメージアップも含めて裕太を擁護していこうと思います。このブログが高畑裕太の裁判に活用されることがあれば、より有利な裁判の流れが見込めるのではないか。という願いを込めます。
裕太、僕は味方だぞ。
1 高畑裕太はアメニティと間違ってしまったのではないか
まずは犯行当時の高畑裕太の行動を確認していこう。抜粋した記事にはこう書かれている。
女性従業員にアメニティの歯ブラシを自分の部屋に持ってくるよう依頼し…
そう、ここで挙げられる可能性としては、高畑裕太は女性従業員を歯ブラシと間違ってしまったのではないか。ということだ。
寝る前に歯をみがきたいなぁ。(みつを)しかし、部屋には歯ブラシがない。うーん、困ったどうしよう。辺りを見渡しても歯ブラシらしきものはどこにもない。そこでフロントに電話をかけて歯ブラシを持ってきてくれと頼んだ。だが歯ブラシが部屋に来るまでには時間が掛かる。あぁ歯ブラシ。歯ブラシ歯ブラシ。歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ歯ブラシ。もう頭の中は歯ブラシでいっぱい。そんな時に部屋のチャイムが鳴り響く。そーら、歯ブラシが来たぞう!と熱り立ってドアを開けたらそこには歯ブラシが立っていた!うおーりゃ!ぐおーりゃ!がおー!と歯を磨く高畑裕太。よし磨き終わったと思ったらよく見たら人間だった。という可能性。いや無理か。
いや諦めたら高畑裕太の擁護にならないので、可能性として考えると、強い幻覚作用のある高純度のアレとかソレとか吸ったか打ったかで歯ブラシと見間違えた、というのが有力だ。裕太、それは歯ブラシやない、人間や!
2 高畑裕太は実はそんなに悪いことをしていないのではないか
さて、1項目ではまずは高畑裕太の故意ではなく過失として充分に情状酌量を証言した。次は俳優としてのメディア上の評価とお茶の間のバラエティ復帰に向けた世の中のイメージアップを図る。
高畑裕太の犯行は刑法177条の強姦罪に当たる。刑期としては3年から最高20年というなかなかハードな犯行だ。ちなみに補足だが、強姦罪として成立するのは男性が女性を襲う場合のみで、女性が男性を襲う、又は男性が男性を襲う場合は強姦罪としてではなく、強制わいせつ罪になる。さらに、強姦と強姦未遂の違いは性行為が行われたかどうか、この一点に限る。「先っちょだけ」が強姦と強姦未遂のボーダーラインである。刑期や刑罰もおよそ半分になる。巷で援助交際ばかり勤しむお父さん、先っちょだけが命とりですよ。
ここまで高畑裕太の犯行を説明していくとハードな犯行に感じてしまう。これじゃあお茶の間でも高畑裕太がテレビに映ればチャンネルを変えられ、メディアに載れば「ああ、あの歯ブラシの人か」となってしまう。が、ちょっとまってほしい。世の中にはもっと残忍かつ凶悪な犯罪が溢れており、上には上の凶悪犯が渦巻いている。それに比べたら高畑裕太の犯行なんてなんてちっぽけなんだ!と思えるかもしれない。
という訳でdoor in the faceを活用してみる。日本語でいうところの譲歩的要請法だ。商法としては効果的な方法として知られており、無理な商材を提案した後に落とし所として条件の良い商材を提案する。すると、最初から提案するよりも購買意欲をそそるのだ。
ジェフリー・ライオネル・ダーマー(Jeffrey Lionel Dahmer、1960年5月21日-1994年11月28日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名を取る。1978年から1991年にかけて、主にオハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を絞殺し、その後に死姦、死体切断、人肉食を行った。その突出した残虐行為は、1990年代初頭の全米を震撼させた。またこの事件では、ミルウォーキー警察当局の無能と、人種的および性的マイノリティに対する偏見がダーマーの蛮行を許したとして厳しく非難されることになった。
セオドア・ロバート・バンディ(1946年11月24日 - 1989年1月24日)はアメリカの犯罪者、元死刑囚。
バンディは、1974年から1978年にかけて、全米でおびただしい数の若い女性を殺害した。被害者の正確な総数はわかっていないが、彼は10年間にわたる否認を続けた後、30人を超える殺人を犯したと自白している。彼は原型的なアメリカのシリアルキラーとして考察される。
残忍な殺人犯という一般的な評価に反し、しばしば知的でハンサムで愛嬌がある青年であったとも評される。また、日本のメディアにも題材として登場し、ハンサムで頭脳明晰なシリアルキラーとしてショッキングに扱われる。
アルバート・ハミルトン・フィッシュ(1870年5月19日 - 1936年1月16日)はアメリカの連続殺人者、食人者。「満月の狂人」(Moon Maniac)、「グレイマン」(Gray Man)、「ブルックリンの吸血鬼」(Brooklyn Vampire)などの異名で知られている。正確な数字は明らかではないが、多数の児童を暴行して殺害(1910年から1934年までに400人を殺したと自供)。肉を食べる目的で殺害された児童もいる。また、成人も殺害しているとされる。なお、「満月の狂人」という異名は、犯行が満月の日に行われたことが多かったことに因む。
アメリカ犯罪史上最悪の殺人鬼と呼ばれている。
高畑裕太
強姦一件。
ほら、全然悪くないぞ、裕太。
まとめ
1. 高畑裕太は薬物中毒だった。歯ブラシと女性を間違えるレベルで。
2. 性犯罪者の写真のコラージュを作ると、意外としっくりくる。
これはもう例えるならあれしかない。
性犯罪者の宝石箱やぁ!
無くしものをしないようにしよう
目標を立てた。
あれは確か小学生の頃だったろうか。クラスで月毎に1人ずつが目標を立てるのだけど、「たくさん手をあげて発表する」「ろうかを走らないようにする」といった他のクラスメートの目標に対して、僕の「無くし物をしないようにしよう」という目標はやや異質だった。
ただ、結局は月毎の目標を立てたところで、掲げた目標などすぐに皆忘れていて、手を挙げるどころか居眠りする奴、廊下をリオオリンピックのジャスティン・ガトリン並みに全力で駆け抜ける奴、そして物を片っ端から無くしまくる僕がいた。
目標という壁を乗り越えてこそ達成できるものだが、あの目標を掲げてから10年以上も経つが、未だに忘れ物や無くし物が後を絶たず、未だ達成されていない唯一の目標となっている。その後の人生で立てた数々の目標の中ではある意味、1番的を得ているのかもしれない。
…と、ここまで書いたところで、ようやく僕を乗せた電車は福岡の県境を越えて、故郷熊本に入った。
毎年、お盆や正月のシーズンは運賃も倍程に上がり、帰省ラッシュにのまれるのも目に見えていたので、こんな時期に田舎に帰る奴はお中元にハムを押し付ける阿部寛か、キチガイだけだと思っていたが、遂に僕もお盆に帰省することにした。
無論、倍以上もする運賃では飛行機も新幹線も乗ることが出来ず、青春18切符を利用した。青春18切符というのは、在来線なら終日乗り放題で、何度でも途中下車が可能な優れもの。ただし注意点は券が一枚だけなので、紛失すると使用できない事と、新幹線や特急には乗れないので、長距離の移動には全く向いていない。
東京から夜行列車ムーンライトながらに乗り込み、名古屋からは鈍行で熊本を目指す。途中の乗り換えの待ち時間も含めると熊本まで30時間くらい掛かるだろうか。こんな方法で帰省する奴は間違いない。キチガイだ。
そして3日目の早朝、博多始発の電車に乗り込み、熊本への電車に乗ると、懐かしい景色が見えてきた。それは南荒尾駅から川尻駅までの景色である。僕は通勤通学には電車は一切使っていないが、ある時期に川尻〜南荒尾駅間のを使っていたのを思い出した…
あれはまだ16歳の頃だった。
僕は恋愛をしていた。同い年の彼女だった。まだスマホなんて物も無くてガラケーでメールを打ちあい、絵文字のハートがEメールで届く度に愛を確かめ合っていた。
高校が一緒ならば登下校で一緒になったり、お昼休みに一緒に弁当を食べたり出来たのだろうけど、僕と彼女は高校も違えば、住む場所も遠かった。免許なんて勿論無くて、自転車しかない僕にはその距離は途方もなく遠かった。
唯一の会う手段が電車だった。僕の家の最寄り駅が川尻駅、彼女の家の最寄り駅が南荒尾駅で、片道1時間弱、往復で1880円掛かった。
とてもじゃないけれど、この距離は16歳の男女には遠かった。電車の時間は百歩譲ったとしても、往復の1880円は最低時給630円の熊本では到底通える額じゃなかった。
だが、そこはまだ十代の若さがあった。じゃあどうするかというと、南荒尾駅が無人駅であることを利用して、正規の金額を払わずに下車するのである。川尻駅から210円で熊本駅行きの切符を買い、そのまま南荒尾まで乗って行く。無人駅なので降りた後は支払いもせずにそのまま駅を出てしまうのだ。そして、帰りは切符を買わずに電車に乗り込み、川尻駅で「熊本駅から乗ったけど、切符を無くした。」と駅員に告げるのである。これで420円。正規よりも1460円安くすることができるのである。なんとも人道から外れた行いだ。
それからは420円で彼女に会いに電車に乗るようになった。
しかし人間とはなんと強欲な生き物なのか、この420円すらも惜しくなってしまったのである。
そう、週に三回も行き来すれば、1260円も掛かってしまうのだ。これをどうにか安く出来ないものか。そう考えてしまったのである。
それにもう一つ、この420円で行く方法では、毎回川尻駅で下車する度に駅員に切符を無くしたと告げなければならない。
ある日川尻駅から改札を通ろうとすると、駅員のおっちゃんが話しかけてきた。
「最近よく見るけど、にいちゃんはいつもどこに行きよると??」
きっとおっちゃんは怪しんでいるというよりも、通勤通学でもなさそうな若者が電車を使うのが余程珍しいと思って声を掛けたのかもしれないが、後ろめたい気持ちを抱えた僕は冷や汗をびっしょりとかいた。
「あ、彼女に会いにいったんです。」
と、一言だけつげて、僕はそそくさと改札を抜けてに駅を出た。これではバレてしまうのは、もう時間の問題だ。
そこで考えたのは、壁を乗り越える方法だった。帰りの電車で川尻駅のホームに降りた後、タイミングを見計らって改札の駅員から離れた位置で壁を乗り越えて切符を買わない方法であった。これだと駅員に怪しまれる事もなく、一回の往復で必要な金額も210円になる。一石二鳥である。
とことん味を占めた僕はそれ以後は何度も何度も壁を乗り越え続けた。人としての善悪すらも乗り越えていた。人間、悪事も繰り返すと不思議なもので、最初に抱えた罪悪感だとか、持っていた倫理的な感覚も狂ってしまう。もう当然のように、乗り越えて帰っていた。
そんなある日のことだった。夜8時ごろの人気のないホームから壁を乗り越え、川尻駅の前を通った時に、突然声を掛けられた。あの、以前声を掛けてきたおっちゃんだった。
「ちょっと、こっちおいで。」
そう呼びかけるおっちゃんは怒っているようにも見えず、逃げ出せばよかったものの、僕は呼ばれるがままに駅の構内に入っていった。もうなるようにしかならないよね、と思った。
「にいちゃん、彼女さんとこの帰りね?」
おっちゃんは咎める訳でもなく、怒る訳でもなく、どこか淋しそうな目で僕を見ながら言った。
「…はい。」
「俺も若い時、にいちゃんくらいの時はよく悪さしとったよ。でもね、にいちゃん、それじゃあ彼女さんは会っても本当に喜べるのかな?」
つぶやくように語るおっちゃんに、僕は何も言えず、ただただ俯いていた。怒られるよりも、語りかけるおっちゃんの言葉の方が、ずっしりと重く感じた。
「にいちゃんは、どこの駅まで行きよっと?」
「…南荒尾です。」
ふぅ、と小さくため息をついたおっちゃんは座っていたパイプ椅子から腰を上げて歩きだした。そのまま自動券売機の前に立った。僕はその場で立ち尽くしたまま、待っていた。料金の精算を請求されるのだろう。
おっちゃんはズボンのポケットからおもむろに黒い萎びた革財布を取り出し、お金を券売機に入れていく。
再び僕の方に戻ってきたおっちゃんが言った。
「にいちゃん、とりあえずこれで今度から彼女さんに行くたい。」
おっちゃんから渡されたのは川尻駅から南荒尾駅の定期券だった。僕は訳が分からなかった。
「え…?これは…」
「定期券だけん、ずっとは使えんけど、しばらくはこれで行けるど。もう変なこつはするなよ。ほら、もう遅いけん帰れ。」
ニッとはにかんだ顔で僕の顔を見るおっちゃん。まさか、定期券を譲って貰えるなんて思ってもみなかった。
貰った定期券をポケットに入れ、駅に止めていた自転車に乗り、ペダルを踏み込んでいく。田舎道の羽虫が時折顔に当たるのも気にならない位に、僕の心はショックを受けていた。過去に大人から怒鳴られたりする時よりも、心の中のずっと深い所に、スッとおっちゃんの言葉が染み込んで来た。
僕は自分がズルいことをしていくうちに、心の「大切な何か」を無くしてしまっていたのだろう。とっても、無くしてはいけないものを。それをおっちゃんは僕に思い出させてくれたのかもしれなかった。
なぜおっちゃんは見ず知らずの僕なんかに、定期券を買ってくれたのか。しかも距離が距離だから金額も相当なものだったに違いない。自分が情けなくなって、ボロボロと涙を流しながら僕はペダルを漕ぐ足に力を込めた。夏の夜は涼しかった。
家に帰り着き、家族のいる居間には行かず自分の部屋に直接入った。泣いた後の顔を家族には見せたくなかったからだ。
ポケットに入れた、おっちゃんに貰った定期券を取り出そうとした。
無くしてた。
と、そんなことを思い出しながら電車の車窓から外を眺めていると、川尻駅に着いた。あれから何年も経ったいま、あのおっちゃんは今もいるのだろうか。
扉が開いて、夏のムワッとする熱気と入れ替わるようにして僕はホームに降りて改札に向かった。
改札には若い駅員さんが1人いるだけで、あのおっちゃんは居なかった。もしかしたらもう定年になったのだろうか。
もし、もう一度会うことが出来るのなら、あの時のお礼を言いたかった。仕方なく、ポケットに入れた青春18切符を駅員に見せて改札を出ようとした。
無くしてた。壁でも越えるか。
大丈夫だよ。
大丈夫だよ。
こんな心強い言葉が他にあるだろうか!
ストレス社会の現代の中で、常に不安や恐れを抱えながら生きている人々にとってはかけがえのない言葉だ。
叱責はもちろんだが、頑張れ!といった言葉も励ましというよりプレッシャーになる方が多分にあるだろう。その中でこの、「大丈夫」という言葉は全身にのしかかる負担を取り除いてくれる唯一の言葉だと思う。
元々の語源をたどるとこの「大丈夫」というのは和漢異義語というもので、中国の言葉がそのまま伝わってきている。周の時代の成人男性の身長を一丈と表したところから丈夫という言葉が生まれた。
大きく、力強い男がいる。そんな安心感が伝わってくる言葉だ。
そんな、「大丈夫」という言葉をかけられて、心に響いたエピソードが先日あった。
僕は普段、建築現場で働いている。朝、様々な交通機関を使い、現場に着いてから仕事をする。普通の会社員なら職場というのはずっと変わらずオフィスで、通年同じ職場に通い詰めるのだろうが、建築の仕事では現場が変わるたびに朝の通勤ルートも通勤手段も往々にして変わるのだ。
地元の熊本で働いていた時は公共の交通機関が充実していないので専ら車での通勤だったが、東京ではバスや電車で現場に通うのが主流だ。ただ、それだと作業道具とヘルメットをバックに詰め込んで運ばないといけないので、荷物がかなり重い。それに朝の通勤ラッシュに重なると、デカいバックがかなり他の乗車客の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまう。やはり車での通勤が1番である。
先日通い詰めた現場が足立区のとある市民プールの解体現場だった。僕は一つの建築会社で勤めているだけでなく、フリーランスで他社の仕事も受け持つことがあり、この解体現場も他社の仕事だった。
普通なら電車とバスを乗り継いで現場に向かわなければならないのだが、この会社の高橋さんという五十代のオッサンがとても親切で毎日車で送り迎えしてくれた。
建築業の職人の世界では、上下関係というのは絶対的なものだ。経験年数が多く、仕事が出来る人ほど偉い。下の人間は仕事もプライベートもなく、上の人の言うことを聞き、使いパシリをして一緒に仕事をすることで技術を盗むことができる。
この高橋さんは二十年以上の経験年数の大ベテランで、僕なんてヒヨッコ同然なのだけれど、威張ることもなく、毎日迎えに来てくれた。僕は嬉しい以上に申し訳ない、いたたまれない気持ちになった。
ある朝、高橋さんの運転で現場に向かう際、僕はそんな胸のうちを伝えた。
「高橋さん、毎朝いつも送り迎えさせてしまってすみません。」
礼儀とかではなく、本心だった。
高橋さんはそれを聞いて、フッと鼻で笑いながら答えた。
「なぁに、そんな礼なんか要らないよ。これが俺の役割なのさ。」
「でも、僕なんて現場に直接行くのが当たり前なのに、わざわざ来て貰っているから…」
そう言った僕に高橋は優しく、語りかけてくれた。
人にはそれぞれ、役割があるのだと。
世の中には色んな人がいる。
そして色んな仕事があって、色んな役目がある。毎朝電車に揺られるサラリーマン、街を巡回するお巡りさん、商品を並べるコンビニのアルバイト、そして僕ら建物を作ったり、壊したりする職人。自分にはサラリーマンもお巡りさんもコンビニ勤めも出来ないけれど、足場鳶の仕事ができる。
出来ないことを恥じる必要なんて無い。自分の役割を果たせば堂々と生きていける。朝、同じ現場で働く仲間を車で送り迎えするのも自分の役割なだけ。
と高橋さんは言ってくれた。
ハンドルを握りながら、何気なくそう言ってくれる高橋さんの姿が、大きく、そして力強く見えた。職人の魂のようなものが垣間見えた気がした。
建築業の人なんてほとんどがアル中とか前科持ちとか、社会のルールも守れないろくでもない人ばかりなのに、この人は違う。そう感じた。
胸が熱くなった。
感謝の念がこみ上げてくる。
だから余計に、申し訳ない、とも思ってしまい、つい言ってしまった。
「せめて運転だけでも代わりたいんですけど…すみません。運転免許が無いんです。」
僕は元々免許を持っていた事、それが剥奪され、今は持っていない事を伝えた。日頃人に言う話では無いのだけれど、高橋さんにならなんでも話せるような、そんな気がした。
高橋さんはそれを聞いて、フッと鼻で笑いながら答えた。
「大丈夫だよ。俺も免許ないから。」