その女、デンマーク
今、左の乳首がヒリヒリする。
ブログを書き出してから早いこと8年目になるが、いまでもこんな書き出しでブログを書けると思うと、日本はつくづく平和なものよと感慨深い。
今年も良い年になりそうだ。
さて、本題に戻る。左の乳首がヒリヒリするのだ。何故ヒリヒリするのかというと、それはある1人の女との出会いが全ての始まりだった。また妄想かよ!!と多くの読者は感じるかもしれないが、決してそうではない。
初めての出会いは唐突だった。
朝夕が寒くなってきた昨年の10月頃、彼女はショップの店頭にいた。
上野でも有名な、市場や居酒屋が軒を連ねるアメ横から、一本隣の通りに出ると、喧騒も少し治り、そこにはいくつものセレクトショップが並ぶ。
僕は昔から服が好きで、買う金も持たなくてもプラプラとあちこちの服屋を見ては掘り出しものの服がないか見て回る癖がある。
だから自然と、またこいつ来た。みたいな冷たい対応を店頭のスタッフにされてしまう。
いくら服が好きだからといっても、所詮は服を買ってくれない客にスタッフは用がないのだ。愛想はそこにない。
ただ、その日行った一軒の服屋に居た女は違った。他のスタッフが冷たい目で見る中、その女だけは何か遠くを見るような目で、僕を見ていた。そして冷たい態度を取るわけでもなく、ただ、見つめていた。
初めての対応に、僕は何故か不快になってしまい、そそくさと店を出た。なんだか不思議な気持ちになった。恥ずかしいような気持ちになった。
あの女の目は、僕を俯瞰しているような、心の奥底まで全てを見据えているかのような、そんな目をしていた。深い深い海のような、そんな瞳。海の底にあの女は居て、こっちを見ている。そんな夢も見た。
何日か経っても、その女が脳裏に焼き付いた。仕事をしていても、飯を食べても、その女は確かに、僕の脳裏にいた。まるで一緒に居たいのかの様に。それが相手からなのか、僕が一緒に居たいと望んでいるのか、それすらもよくわからないまま。
数日後、また僕は上野に来ていた。目的は言うまでもなく、女に会うためだった。プラプラなんてせずに、まっすぐに店に向かう。
女は店頭にいた。初めてあったときは、その吸い込まれるような瞳ばかり気にしていたけど、改めて見るとかなり特徴的な女だった。
柔らかい質感の白い肌、
額の真ん中で分けたロングヘア。
艶めかしい、色気のある身体つき。
そしてまるで雪原の中で踊る赤いドレスの少女の様な、白い肌に浮き出る、赤い唇。
ハーフなのだろうか?
どことなく日本人っぽくない。
極端に白い肌はロシア系なのかわからないが、ヨーロッパ系らしい感じだ。
雑な接客もなければ、挨拶も特になく、ただ店にいる女。普段はどんな接客をしているのだろうか。失礼だが、こんな態度で働いて、よく首にならないものだ、とも思った。
その日も特に服を買うこともなく、僕は店を出た。スタッフはもちろん用のない客には挨拶をしない。女も、なんの挨拶もしてこなかった。
それから、更にしばらく日が経ち、12月になった。あの女はいまも、店にいるのだろうか。相変わらず、そんなことばかり気にしていた。
薄々、僕自身があの女に惚れているのも、もう分かっている。会って声でもかければいいのかもしれないが、いまいち勇気が出ず、いたずらに時が過ぎていた。
我慢出来なくて、店に向かった。せめて声がかけれなくても、あの女を一目見たい。そう思った。ストーカーになる男の心理が、いまならわかる気がした。
いつも店頭にいた女が、居なかった。
12月の寒風が、僕の身体を冷やす感触が伝わってくるのが分かる。深い哀しみのぬかるみに足をつけている様な感じがした。
どこに行ったのだろう。あの接客で、首になったのだろうか。
僕は他のスタッフに聞いた。あの子はどこに行ったのか、と。
あ、あのデンマークの女ですか。
もうウチにはいませんよ。確か…
スタッフは一度店内の奥に入り込み、しばらくすると戻ってきた。
今は池袋の店舗にいますよ。
僕はその言葉を耳にしながら、もう身体は外に向かっていた。もう外の空気は寒く感じなかった。
もう、迷わない。そう自分に言い聞かせた。離れて見てるだけじゃダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ!!自分の気持ちを伝えればいい。君のことが好きだと。一緒に居たいんだと。その後のことは、…今は考えてもしょうがない。
池袋の東口にPARCOがある。そこの4階のテナントの一画に、上野のお店の系列店が入っていた。
そこに女はいるらしい。やはり、あのスタッフの話を聞いた限りでは、あの女はデンマーク出身か、デンマーク人のハーフなのだろう。
エスカレーターを歩いて登りながら、4階のテナントに行くと、女はそこにいた。初めて会ったときと変わらない、遠くを見るような目で、僕を見ていた。
僕は気持ちを伝えようとして、女に近寄り、女を掴み、言った。
「これください。」
とまぁ、こんな話なんですけど、
素肌でこの服を着ると、ちょうど左乳首が人魚の尾ヒレの裏地に当たって擦れてしまってヒリヒリするんです。
とりあえず貝殻つけとくか。
君に捧げるエンブレム
世の中の常識を不意に押し付けられる事がある。
夜、友人と小汚い立ち飲み屋で酒を飲み交わしながら語りあっていた。
年明け早々僕の語る来年の抱負を、まるで僕が存在しないかのように見事にシカトする友人。もはや会話にならない。
僕のことが嫌いなんじゃないか。とまで感じるのだけど、これは裏を返せば、
「貴様は面白くない話をしている。」と暗に伝えてくれているのかもしれない。こいつとはこれからも仲良くいれそうだ。そんな時、友人が口を開いた。
友人は唐突に僕の話を遮り、話題を変えた。こいつはなにを言ってやがるんだ。冷や汗で背中が湿る。
「櫻井翔の演技が上手いよな。」
どうやら友人は最近のドラマなんぞの話を僕にふってきているようだ。僕が大のテレビ嫌いで、観てないことも知っている筈なのに。
僕にとっての限られた情報網といえば、新宿とか渋谷の電光掲示板と電車のつるしんぼと床屋の美味しんぼ位だ。
最近は電光掲示板もない台東区という東京のサイハテみたいな場所に居を構えてしまったものだから、やたらと老人共の浅草の参拝ルートとか鶯谷のホテルの空室事情位しかわからない。
「え?何それ?知らないよ?」
と僕は喉仏まで声がでかかったのだけれど、友人は僕がテレビを観ていないのを知っていて、わざとこの話題を投げかけているのを五感で感じとった。
メディアの情報は一般常識だとばかりの態度だ。こんなもんは押し付けだ。
友人は冷ややかな目で僕を見ている。ここで知らないと言うのも癪なので、知っている程を装う。
「あぁ、あれね!観たよー!エンブレムの奴ね。」
なんせタイトルと櫻井翔しか情報が無いので、これくらいの知ったかぶりが限界である。冷や汗が更に滲む。
あまりにも会話が展開出来ないので、友人の視界の死角でケータイで調べることにした。戦場では情報戦が全てだというのも今ではよく分かる。
タイトルを検索ワードに入れて出すと、流石天下のグーグル。もののコンマ数秒で情報が入ってくる。
友人に今更知らなかったから調べているのをバレるのは嫌なので、大雑把に流し読む。
ふむふむ、国民的ドラマ、櫻井翔、長澤、エンブレム、車椅子、感動。これ位分かれば充分だろう。
友人に呼ばれ、慌ててケータイをしまう。どうやらバレなかったようだ。安堵する。しかし、友人の口から衝撃的な言葉が出てきた。
「俺さ、あのドラマ観てないから教えて欲しいんだよね。ストーリー教えてよ。」
まさか、である。友人の方が知らなかった様で、更に聞くと、正月明けの職場でのドラマの会話が出来ないから、是非とも全容を教えてくれとの事だった。
今更、いや実は…と言えないのが僕の性格なもんだから、とりあえず僕の脚色で説明してあげることにした。以下はその全容である。
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月9ドラマ「君に捧げるエンブレム」
大正3年から大正7年にかけて行われた第一次世界大戦が幕を閉じるところから物語は始まる(補足だが当時は第二次世界大戦は行われていないのでドラマ上では世界大戦と呼ばれている)。
イギリス、フランス、ロシアを中心とした連合国が勝利し、同盟国でもある日本も勝利を収めた。
ドラマの軸になる登場人物は、青島と膠州湾の攻略で同じ部隊に配属された櫻井翔(陸軍中尉)と長澤(陸軍少尉)。
戦地で共にドイツ軍と戦い、そこで意気投合した2人。階級は違えど、まるで兄弟のように親交を深めた2人は帰国後も再開しようと誓いあう。
別々の輸送船で帰った彼らは東京の地で数ヶ月ぶりの再開を果たす。
しかし、そこで櫻井翔が会った長澤の姿は以前とはまるで違っていた。
長澤は櫻井翔と別働隊になった後、戦場で対人地雷を踏んでしまい、右足を太腿から下を失っていた。心配した櫻井翔は尋ねる。
「おい、長澤、その脚、大丈夫なのか?」
しかし、車椅子で登場する長澤の姿は威風堂々としている。
「大丈夫だ。日本男児たるもの、脚の一本くらいで落ち込むものではない。」
それから2人は度々会っては酒を飲み交わし、日本の将来を語りあった。
そんな中で国内では、次々と戦場で成果を出した人物の昇級や賞金が贈られるようになる。櫻井翔もその中で青島の要塞攻略の功により勲章(金鵄勲章)を受けることに。
「おめでとう。櫻井。君は日本の宝だ。」
長澤は友人の表彰を素直に喜んでいる。
「いや、しかし、あの激しい戦闘を乗り越えた我らに違いなんて無いはずだ。長澤、君も勲章に値するよ。」
櫻井翔はそう言うと、長澤はハハハ…と笑う。その表情は喜んでいるようだが、どこか様子がおかしい。
「長澤、どうしたんだ?もしかして…。」
櫻井翔の予感通りだった。長澤は戦地で負傷した後、戦場の簡易の治療しか受けておらず、帰還後もそのままにしていた。
その結果、破傷風になってしまっていた。当時は治療法は明らかにされていた破傷風だが、血清が不足した日本での治療は不可能だった。
「もう俺の命も長くないようだ。ただ、死ぬ前に戦友が立派に勲章を受ける姿を見ることが出来て良かった。」
数日後、長澤は息をひきとった。
長澤の葬儀のシーン。
親族が長澤の遺体に様々な言葉を投げかける。
火葬前の長澤の前に立つ櫻井翔。
彼は唯一無二の戦友、長澤に向かって言葉は何もかけない。無言のシーン。
そして櫻井翔は長澤に最敬礼をする。
ここがこのドラマのクライマックスであり、感動のシーンだ。
真の友人同士、会話は要らない。
やがて最敬礼を終えた櫻井翔は、胸に着けたエンブレム、勲章(金鵄勲章)を外し、長澤の遺体にそっと載せる…
ここでこの月9ドラマ「君に捧げるエンブレム」は幕を閉じるのだ。
まさに国民的ドラマ、感動の涙が止まらない。
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と、ここまで僕の語るドラマの全容を、まるで僕が存在しないかのように見事にシカトする友人。もはや会話にならない。
いや、真の友人同士、会話は要らないのだ。
心に残るイケメン
人生の中で誰しもが心に残る光景を観てきたことだろう。苦労して登った山頂からの眺め、初めてのデートで一緒に眺めた夜景。それらは幾ばくの時が過ぎ去ろうとも、心の中では鮮やかな色彩を放ち続ける。
僕はなかなかに強烈な友人達がいて、その中の1人にゲイの友達がいる。次々と強かに酔ったノンケの男共をあらゆる手を尽くしては連れ去っていく、北朝鮮の工作員みたいなゲイだ。もはや手抜かりはない。
そんな彼と久しぶりに会った時、彼はまだお酒を呑む前から頬を、日の出の空のような赤色に染め、トロンと虚ろな目をしていた。そうだ。彼は恋をしていた。話を聞くと、その彼(好きになった相手)は今時の塩顔なイケメンだったのよ…と呟き、溜息をつく彼(恋をしているゲイ)。
出会いは僕がよく行く二丁目のオカマバーだったそうだ。そこは観光バーだからポケモンGOみたく、「ノンケが出たぞ!」と公園を走り回るツワモンはいない。普通に女性客も来るし、ノンケの男も気軽に入れる、それが観光バーだ。
彼(恋をしているゲイ)は彼(好きになった塩顔)を一目見たときには声にもならない叫び声をあげたそうだ。一目惚れをしたらしい。
彼(一目惚れをして恋をしているゲイ)にどんな容姿だったのかというと、彼(好きになった塩顔)はノンケで、程よい筋肉、短髪で清潔感のあるヘアー、そして完膚なきまでの塩顔だったという。なんだよ、完膚なき塩顔って。
塩顔といえば西島秀俊とか加瀬亮とかがイメージに浮かぶのだけど、塩顔とはどんなものぞ!と僕は興味しんしんになったので、早速彼(ノンケで筋肉と清潔感のある、好きになった完膚なき塩顔)に会えるかもよ?と彼(一目惚れをして恋をしている完膚なきゲイ)に提案してみた。
いやん、いきなり会うなんて怖くてできないわ。と言ったそばからバックを持って席を立つ彼(いきなり会うのは怖い一目惚れをして恋をしている完膚なきゲイ)はまさに肉食系男子である。いや、乙女?
数分彼(いきなり会うのは怖い一目惚れをして恋をしている肉食系男子の完膚なきゲイ)と歩いてお目当てのオカマバーへ。中を覗くとチラホラと客がいた。男女のカップルや、男男のカップルや、1人で来ている男の客。
おや?もしかしてこの1人でいる奴が噂の彼(ノンケで筋肉と清潔感のある、好きになった完膚なき塩顔)じゃないのか??とテンションが上がる。確かに少し塩顔っぽい。空いた席に着いて彼(いきなり会うのは怖い一目惚れをして恋をしている肉食系男子の完膚なきゲイ)に聞いてみた。
「そうよ、あの人よ!あの奥の方!」
指差す方を見るとそれは1人で呑んでる男客じゃなくて、男男のカップルだった。奥の方に座る彼(ノンケで筋肉と清潔感のある、好きになった完膚なき塩顔)の塩顔を覗いてみると、全然塩顔どころか目鼻立ちが濃すぎてイタリア人みたいな顔していた。
どこが塩顔だよ!どう見てもイタリア人である。シチリア産の塩。
ふと彼(実はノンケじゃなくてゲイで恋人のいた、筋肉と清潔感のある、好きになった完膚なきシチリア産)から視線を彼(いきなり会うのは怖い一目惚れをして恋をしていたんだけど惚れた相手が実はノンケじゃなくてゲイの恋人がいた肉食系男子の完膚なきゲイ)を見ると、めっちゃ泣いてた。
完膚なきまでの号泣。いいの、私の心の中で彼(実はノンケじゃなくてゲイで恋人のいた、筋肉と清潔感のある、好きになった完膚なきシチリア産)はいつまでも思い出として添い続けるのよ。と言い、鼻水を垂らしながら恐ろしい顔をする彼(もはやただの怖いゲイ)。
むしろ同性愛ネタをブログに書くとカッコ書きがやたら長くなって一番泣きたいのは僕の方だ。
心に残るイケメン。
それはすこし、しょっぱい思い出。
いきすぎた便器
朝、気持ちをナイーブにさせる出来事があった。仕事の前にトイレで用でも足すかとコンビニへ。最近のコンビニはトイレが綺麗だと客足が伸びるみたいな思想が根付いているものだから、割とトイレが綺麗になっている。
昔はトイレが汚かった店舗も見事に改装されていたりして、昔はあんな奴だったけど、ここまで立派に育ったのか。と感慨深いものがあり、胸が熱くなる。
さてトイレしようとするのだけれど、便器の蓋を途中まで開けると、そこからが硬くなっていて蓋が開けられないのだ。恐れおののいて手をはなすと、その蓋は再び元の位置まで下がっていき、閉まってしまう。なんということだろう。生まれてこの方、便器に拒絶されたのは初めてであった。
僕の事が嫌いなんじゃないか。
という考えが脳裏をよぎる。
例えるなら恋愛でいうところの12月の半ば、そろそろクリスマスじゃないかと思い、今年はプレゼントは何をあげようかな?サプライズしようかな?ムフフと心躍らせながら仕事を終えて帰宅していると、彼女からラインが。
「もう別れよう。」たった一言でこれだけの破壊力を秘めた言葉があったのかと疑うくらいにショックを受け、すぐさま理由を聞く。
「分からないならいいよ。」なんて返事か来ると、分からないから聞いているのに此奴は何を言ってるんだ!と憤りながらもそこは紳士的に返事を適当に返す。
どうやら今日は彼女との一年記念日だったらしく、クリスマスの計画を立てて浮かれる前に意外な落とし穴があったようなものだ。記念日なんかおちおち数えてられるか!メンヘラか!と憤りながらも、そこは紳士に返事を適当に返す。
「とりあえず、謝るから今から会いに行くよ。」今更何を謝るんだと自分でも呆れるものの、クリスマスを一人で過ごす訳にはいかないのだ。ここは忍耐あるのみ。
家の玄関を出ると、北風が肌を刺すような寒さをぶつけてくる。なにもこんな寒い日に会いにいかなくても。と思わず自分で呆れるものの、クリスマスを一人で過ごす訳にはいかないのだ。満月の月の下をトボトボと歩いた。
彼女の家は家からさほど遠くない。歩いて着く距離だ。ラインで「家に着いた。」とだけ送る。すぐに既読。彼女から返ってきた言葉は、「もう帰って。」だった。こんな寒い中歩いてきたのにあっさり帰れるかい!と思い、玄関のチャイムを鳴らす。
しばらくすると玄関の向こう側に人の気配がして、ガチャリと扉が開く。しかしドアロックされたまま、彼女はその隙間から顔を覗かせてこう言った。
「もう帰ってほしい。」
またすぐにドアを閉めようとする彼女。この扉がしまれば、二度と開くことはないのだろうと、慌てて僕は扉の隙間に手を差し込み引っ張る。だが彼女は扉を閉める手の力を緩めることなく閉めようとしてくる。恋愛とは残酷なもので、冷めた恋の先には相手を慮る気持ちは全く残らないものだ。
思わず手が挟まりそうになり、恐れおののいて手をはなすと、扉はバタン。と閉まってしまった。
僕のことが嫌いなんじゃないか。
ってくらいトイレの蓋が開かない時のショックは大きかった。結局壁についている便座の開閉ボタンを使えば開くつくりになっていたのだけれど、こんなの恐怖を煽るだけで必要無いよ!!と思う。ここまで自動式になるといきすぎた便器だ。便器だけど不便だ。
とまぁ、こんな感じで文章を書いたのを投稿前に友人に見せたら、
「またトイレネタ?それしかないの?それに例え話がいきすぎてるし。こんんな作り話よく妄想して書けるね。」
と露骨に言われ、こいつ、
僕のことが嫌いなんじゃないか。
という思いが脳裏をよぎった。どうせ僕のブログなんて身も蓋も無いですよ。いや、蓋はあるか。
「残業100時間で自殺は情けない。」
「残業100時間で自殺は情けない。」とコメントした武蔵野大学教授、長谷川秀夫さんが処分を受けるに至った件。
電通に勤める女性が「仕事にいくのが怖い。」等のツイートをしていた事も話題になりました。
この一件がTwitterやらニュースタグやらでお盛んになっていて、僕としては非常に良くないと思うんです。
何がいけないかって、このコメントがじゃあ亡くなられた女性に失礼極まりないとか、いや確かに情けないよね、とかの内容の部分ではないんですよ。
こういう世論とは反したコメントが圧倒的な勢いで叩かれて処分されていく、この世の中が非常に良くないと僕は思う訳です。
世の中には様々な人がいる訳で、みんな頭の中じゃ多様なことを考えているんですよ。だからこそ議論を交わし合うことが出来て、より良い方向に向かって行く訳ですよ。
それをメディアが叩いて、世の中の人がみんなして「秀夫はひでぇ」なんて酸っぱいことを口を揃えて唱えたら、これは1つの情報統制な訳です。
皆が皆FacebookやTwitterで不適切な発言を避ける。となると、自由に多くの情報を発信できるのがメディア側だけになる訳です。
「メディアの報道=世論」みたいになってしまう。メディアの報道が正しくて、それにみんな同じ様に考えているんだな。となってしまえばもう全体主義の完成です。全体主義で個人を思考不能にしていく様はナチスの全体主義政権下や大日本帝国政権下の下地作りのままですね。天皇万歳!
とまぁこんな感じでメディアの話題から哲学、歴史、世界情勢の話まで友人とドップリ語り合った訳ですよ。僕らは世界平和の事を考えると飯も喉を通りませんから。ずいぶんとカオスなトークでしたよ。
そこから飛躍して中国と米国の南シナ海をかけた情勢悪化による戦争が起きるんじゃねえかとか、TSUTAYAにいつになったら杏里がレンタルに出されるんだとか、そういった討論を重ねていたらもうこんな時間ですよ。
ド平日の午前4時45分。もう少ししたら仕事です。「仕事にいくのが怖い。」
青春を独り占め
袋とじが消えた。
あんなに暑かった夏が終わりを告げ、いつの間にか季節が変わりゆく様に、それは消えた。
物質が音を立てて崩れ消えていくような激しさもなく、さざ波が砂浜でうっすらと砂に潜りこんでいく潮の余韻のようだ。
雑誌の袋とじのあるはずのページを開くと、どこか淋しげに袋とじの切り取った余紙が、もうしわけなさそうに少しだけ残っていた。
いつもは成人雑誌なんて読まないし、買うこともない。専らXVIDEOを観るくらいだ。ただ、コンビニに置かれた雑誌の表紙に書かれていた、「青春を独り占め!袋とじ18P!」という文章が僕を魅了した。
何らかの文章を書く人間は絶えずアンテナを張っていて、世の中の溢れかえる情報から心の奥の奥に眠る何かを鷲掴みにするような文章を見つけたときは心が震えだすのだ。
思わず足が止まる。唾を飲む音が聞こえた。よく行くコンビニのレジに立つ美人の店員にこの雑誌を買う僕の姿を晒す事には多少の躊躇があったが、それでも僕は買った。僕の青春は店員さんのものではなく、僕のものなのだ。
青春を独り占めしたかったのだ。
ただ、絶対読まないであろうスポーツ新聞を雑誌の上に重ねてレジに置いたのに、店員さんはちゃんと色のついたビニル袋と分けて入れてくれた件についてはここでは書かない。
すぐ開ければ良かったのかもしれない。だが、僕はこの雑誌の文章の余韻を愉しみたくて、袋とじには手をつけなかったのだ。
写真や映像は脆く、危うい。想像の範囲が決まっていて、目に映る情報のままにしか事実が伝わってこない。干しぶどうみたいなミイラは何度繰り返し観ても干しぶどうみたいなミイラでしかないのだ。
しかし、文章は違う。文章の中で登場人物に「女」と出てくるだけで、読み手は皆想像の中で多種多様な女をイメージする。読み手によって、髪型も声質も体型も、何もかもが違う。情報が曖昧な分、イメージは美化されるし、想像を愉しむことができる。
今年はVR元年とも言われ、メディアはどこまでも発展していくのかもしれないが、文章というメディアは退廃しないはずだ。
成人雑誌を手に取ったあの日から一週間、僕は袋とじを開けずに表紙を観るだけだった。職場の机に置かれた成人雑誌のタイトルは時が流れても遜色なく、そこにあった。
でも余韻を愉しみたい、というのはもしかしたら去勢で、本当は袋とじを開けるのが怖かっただけなのかもしれない。そろそろ袋とじを開けてもいいか。そう思った。
パラパラとページを捲り、袋とじのページを探した。すぐに雑誌の膨らみで分かると思ったのに、最後のページまで辿りついてしまう。おかしいな、18Pもある袋とじだから、捲る途中で気づかないはずはないのに。
その時に感じた、嫌な予感はきっと理屈的なものじゃなく、無意識的なものだった様に思う。
注意深くもう一度確認すると、袋とじがあったであろうページがあった。冒頭にも書いたが、そこには袋とじが明らかに何者かによって破りとられた痕跡があった。
思わず周りを見渡した。いつもの職場の休憩所の風景と職場の同僚達。全てが敵に見えた。自分の表情が疑心暗鬼に歪んでしまっていないか怖かった。なぜだか、僕が袋とじを盗まれてしまった事を、誰にも知られたくなかった。
僕の袋とじを破りとったのは誰なのか。
全員を問いただしたい欲求が僕の心を満たしたが、かといって人を疑うのも嫌だった。僕の全身を駆け巡ったのは、怒りとか悲しみとかとも違う、亜人のようなよく分からない感覚だった。もはや人間じゃない。
どうしても袋とじの中身が観たかったのかと訊かれると違う。だけど、こうして袋とじが無くなった事実を目の当たりにすると、なぜだか余計に袋とじの中身が見たくなった。僕は席を立ち、コンビニに向かった。
今度は新聞も買わずに雑誌だけをレジに置いた。流石に同じ成人雑誌を2度買う客を見て美人店員さんは怪訝そうな顔したが、、いまはそれどころじゃない。僕の青春を取り戻す為には手段は選ばなかった。僕はただ、
青春を独り占めしたかったのだ。
コンビニを出て、外で色のついたビニル袋からおもむろに雑誌を取り出す。ページを捲るとすぐに念願の袋とじがあった。思わず震える手で、僕は袋とじを引き裂いた。
袋とじの中にはいかにも青春を謳歌している様な若い男に貪るように絡みつく、ブッサイクな熟女が18Pに渡って写っていた。「青春を独り占め」ってそういう事か。
僕の頬を一筋の涙が流れていった。
○んこう少女
東京では変な事がよく起きる。
田舎では起きないのか、というとそういう訳ではないのだけれど、様々な悩みや欲望を抱えた人間が多く集まる東京は、人間のエネルギーが渦巻いているのかもしれない。
だから外を歩いてたりすると、ダライ・ラマ5世みたいな女子が鼻息を荒げていたり、気持ち悪いキャップとサングラスのデブが歩いていたり、風俗で詐欺にあったと騒ぎ立てる酔っ払いがいたりする。
そんな人達が交錯する東京。そんな場所に生きている一人一人が僕の横を通り過ぎていく度に、彼らにもいままでの人生があって、何かしらの悩みや欲望があるということが不思議で、思わず感慨に耽ってしまう。そこにはドラマがある。そして何かしらの出来事を見かけると、好奇心旺盛な僕はよく立ち止まって、人間観察をする。
あれはいつだったか。まだ春と呼ぶには早い3月頃、僕は歌舞伎町を一人、ぶらぶらと歩いていた。眠らない歌舞伎町。終電の時間を過ぎてもなお、欲望を満たす一心で動き回る多くの人間が、まるで光に集まる蛾のようにウロウロと彷徨っている。
僕は飲み会の帰りなのだけれど、一緒に呑んだメンバーがどいつもこいつも神奈川とか千葉から来ていたものだから、終電に間に合う時間に帰ってしまい、暇を持て余したまま歩いていた。
「風俗ですか?ギャンブルですか?」無精髭を生やした男や、NHKの笹塚地区の集金担当に似た男のスカウトマンが矢継ぎ早に僕に話しかけてくる。
ガンシカするのも気まずいし、かといって何かしら返答でもすれば彼らはどこまでも付いてくる。それが嫌だから僕は歌舞伎町を歩く時にはイヤフォンを耳の穴に突っ込んでいた。
防音ガラス越しに街を眺めているようで、違う世界を俯瞰しているようだ。僕はただ、音楽サイトからランダム選曲されて流れる音に身を委ねる。
洋楽が何曲か続いた後、邦楽が流れだした。普段邦楽は聴かないので曲を飛ばそうとしたのだけれど、ふとどこかで聞いた曲のような気がしたのでスマホを触る手を止めた。
今日現在(いま)が確かなら万事快調よ…
思い出せない。この特徴のある歌い方やが好きだった。歌詞もかなり独創的だ。書き物が好きな僕としては、この歌詞を書いているのはいったいどんな人なのだろうと気になってしまう。
そんなことを考えながら音楽を聴いていると、さくら通りの一角に脂汗をかいているつるっ禿げのサラリーマンのオッサンと、地下アイドル界の更に地下みたいな女子がなにやら話し合っていた。
なぜだかオッサンはすこし焦ったように唾を飛ばしながら話している。僕の好奇心が高まった。すこし様子を見てみよう。
「でもさぁ、アンタ、もうメッチャ酔ってるじゃん。酒臭いの私ヤダ。」
「なぁ、頼むよ。今日がいいんだよ。どうしても。」
少女の言葉に対してオッサンが唾を飛ばしながら祈るようにそう言った。酒に酔っているのか、呂律が怪しい。
「嫌よ。どうせ酒で記憶なくなるよ?お金もったいなくなるって。」
どうやらこの状況、援交目的の少女とオッサンの二人の会話らしい。そして少女は泥酔のオッサンとホテルに行くのがたまらなく嫌みたいだ。オッサンが喘ぐように答えた。
「いいんだよ〜明日には覚えて居なくたっていいんだよ〜」
明日には全く憶えて居なくたっていいの
おや、と思った。聴いていた歌詞とオッサン達の会話がシンクロしていたのだ。まぁ、そんな偶然は多々あることだ。更にオッサンと援交少女のやり取りを見続けた。
「なぁ?いいじゃないか。お金だってちゃんと渡すんだから。」
「…いくらくれるの?」
「3万だろぉ〜約束通りの。昨日メールでやり取りしたじゃないか。」
「はぁ!?なに言ってんの?マジ意味不なんだけど。そんなに酒臭いのに同じ金額じゃないじゃない。」
援交少女は呆れたように、キレ気味にオッサンにそう言った。少し狼狽するものの、ここでおずおず帰る気にもなれないオッサン。つるっ禿げの頭から汗が流れ落ちた。
「わ、わかったよ〜。いくら?」
「5万。」
「わかったよ〜。」
昨日の誤解で歪んだ焦点(ピント)は 新しく合わせて
地下アイドル界の更に地下みたいな援交少女が5万請求するのもどうかと思ったが、そこじゃない。
また曲の歌詞がシンクロしたのだ。昨夜のメールでの金額のやり取りは、いわば援助交際の中での焦点だ。
援交少女側とオッサン側の焦点がピタリと一致したときに援助交際は成立する。しかしオッサンが泥酔したことで金額のお互いの焦点がズレてしまった。オッサンはそれを新しく合わせたのだ。
「じゃあさ、ハメ撮りは、今回しないから、もうちょっと、値段落としてくれよ〜」
ハァハァと息を切らしながらオッサンが援交少女に聞く。予算的に厳しいのか、今回はハメ撮りも諦めたらしい。
写真機は要らないわ 五感を持ってお出で
また、曲とシンクロした。もうこれは間違いない。作詞を手がけたのは目の前にいるつるっ禿げのオッサンだ。多分そうだ。絶対そうだ。
僕は思わずオッサンの元へ近寄って確認してみることにした。こんな魅力的な歌詞を生み出す過程から発想まで、根掘り葉掘り聞き出してみたかったのだ。しかし、一手先に援交少女が切り出した。
「やっぱりやめとくわ。マジムリ。」
そう言い捨てると、援交少女はオッサンを残し、歌舞伎町の人混みの中に入っていき、姿を消した。オッサンは慌てふためいた。
「ちょっ、ちょっ、まってくれよー!頼むよ!今夜しかないんだよ〜!」
職場と家庭の往復を繰り返す生活だけのオッサン。そんなオッサンにとってまたとない機会で出逢った援交少女はオッサンの理性のタガを外し、先を考えない、今しか知らないとでも言うような行動を起こさせていたのかもしれない。でもそれがオッサンにとっては非日常的で、オッサンの人生を閃かせていたのかもしれない。
私は今しか知らない 貴方の今を閃きたい
援交少女の消えた方向にオッサンが続いてフラフラと追いかけて行った。これが最後になるかもしれない。もう、援交なんかしないで普通の生活に戻ればいいのだけれど、まだどこか諦められない。そんなオッサンの葛藤が、ネオンの光を浴びて光るオッサンの頭を見ているだけで伝わってくるようだった。
これが最期だって光って居たい
やはり、東京では変なことがよく起こる。
結局、オッサンが歌詞を書いていた人だったのか、直接確かめることは出来なかった。が、オッサンの人生という1つのドラマを垣間見ることが出来たのは光栄だ。きっといまでも東京のどこかで、あのオッサンがネオンの光を浴びながら彷徨っているのだろう。
翌日になって、あの時のシンクロした曲が誰のアーティストのものだったか確かめることにした。アーティストも曲名も思い出せないから少し手間取ったが、すぐに調べられた。
東京事変というアーティストの閃光少女という曲だった。間違いない、あのオッサンだ。