しらぼ、

松本まさはるがSFを書くとこうなる。

無くしものをしないようにしよう

目標を立てた。

 

あれは確か小学生の頃だったろうか。クラスで月毎に1人ずつが目標を立てるのだけど、「たくさん手をあげて発表する」「ろうかを走らないようにする」といった他のクラスメートの目標に対して、僕の「無くし物をしないようにしよう」という目標はやや異質だった。

ただ、結局は月毎の目標を立てたところで、掲げた目標などすぐに皆忘れていて、手を挙げるどころか居眠りする奴、廊下をリオオリンピックのジャスティン・ガトリン並みに全力で駆け抜ける奴、そして物を片っ端から無くしまくる僕がいた。

目標という壁を乗り越えてこそ達成できるものだが、あの目標を掲げてから10年以上も経つが、未だに忘れ物や無くし物が後を絶たず、未だ達成されていない唯一の目標となっている。その後の人生で立てた数々の目標の中ではある意味、1番的を得ているのかもしれない。

 

 

 

…と、ここまで書いたところで、ようやく僕を乗せた電車は福岡の県境を越えて、故郷熊本に入った。

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毎年、お盆や正月のシーズンは運賃も倍程に上がり、帰省ラッシュにのまれるのも目に見えていたので、こんな時期に田舎に帰る奴はお中元にハムを押し付ける阿部寛か、キチガイだけだと思っていたが、遂に僕もお盆に帰省することにした。

無論、倍以上もする運賃では飛行機も新幹線も乗ることが出来ず、青春18切符を利用した。青春18切符というのは、在来線なら終日乗り放題で、何度でも途中下車が可能な優れもの。ただし注意点は券が一枚だけなので、紛失すると使用できない事と、新幹線や特急には乗れないので、長距離の移動には全く向いていない。

東京から夜行列車ムーンライトながらに乗り込み、名古屋からは鈍行で熊本を目指す。途中の乗り換えの待ち時間も含めると熊本まで30時間くらい掛かるだろうか。こんな方法で帰省する奴は間違いない。キチガイだ。

そして3日目の早朝、博多始発の電車に乗り込み、熊本への電車に乗ると、懐かしい景色が見えてきた。それは南荒尾駅から川尻駅までの景色である。僕は通勤通学には電車は一切使っていないが、ある時期に川尻〜南荒尾駅間のを使っていたのを思い出した…

 

 

 

 

あれはまだ16歳の頃だった。

僕は恋愛をしていた。同い年の彼女だった。まだスマホなんて物も無くてガラケーでメールを打ちあい、絵文字のハートがEメールで届く度に愛を確かめ合っていた。

 

高校が一緒ならば登下校で一緒になったり、お昼休みに一緒に弁当を食べたり出来たのだろうけど、僕と彼女は高校も違えば、住む場所も遠かった。免許なんて勿論無くて、自転車しかない僕にはその距離は途方もなく遠かった。

 

唯一の会う手段が電車だった。僕の家の最寄り駅が川尻駅、彼女の家の最寄り駅が南荒尾駅で、片道1時間弱、往復で1880円掛かった。

とてもじゃないけれど、この距離は16歳の男女には遠かった。電車の時間は百歩譲ったとしても、往復の1880円は最低時給630円の熊本では到底通える額じゃなかった。

 

だが、そこはまだ十代の若さがあった。じゃあどうするかというと、南荒尾駅が無人駅であることを利用して、正規の金額を払わずに下車するのである。川尻駅から210円で熊本駅行きの切符を買い、そのまま南荒尾まで乗って行く。無人駅なので降りた後は支払いもせずにそのまま駅を出てしまうのだ。そして、帰りは切符を買わずに電車に乗り込み、川尻駅で「熊本駅から乗ったけど、切符を無くした。」と駅員に告げるのである。これで420円。正規よりも1460円安くすることができるのである。なんとも人道から外れた行いだ。

 

それからは420円で彼女に会いに電車に乗るようになった。

 

しかし人間とはなんと強欲な生き物なのか、この420円すらも惜しくなってしまったのである。

そう、週に三回も行き来すれば、1260円も掛かってしまうのだ。これをどうにか安く出来ないものか。そう考えてしまったのである。

 

それにもう一つ、この420円で行く方法では、毎回川尻駅で下車する度に駅員に切符を無くしたと告げなければならない。

 

ある日川尻駅から改札を通ろうとすると、駅員のおっちゃんが話しかけてきた。

 

「最近よく見るけど、にいちゃんはいつもどこに行きよると??」

 

きっとおっちゃんは怪しんでいるというよりも、通勤通学でもなさそうな若者が電車を使うのが余程珍しいと思って声を掛けたのかもしれないが、後ろめたい気持ちを抱えた僕は冷や汗をびっしょりとかいた。

 

「あ、彼女に会いにいったんです。」

 

と、一言だけつげて、僕はそそくさと改札を抜けてに駅を出た。これではバレてしまうのは、もう時間の問題だ。

 

そこで考えたのは、壁を乗り越える方法だった。帰りの電車で川尻駅のホームに降りた後、タイミングを見計らって改札の駅員から離れた位置で壁を乗り越えて切符を買わない方法であった。これだと駅員に怪しまれる事もなく、一回の往復で必要な金額も210円になる。一石二鳥である。

 

とことん味を占めた僕はそれ以後は何度も何度も壁を乗り越え続けた。人としての善悪すらも乗り越えていた。人間、悪事も繰り返すと不思議なもので、最初に抱えた罪悪感だとか、持っていた倫理的な感覚も狂ってしまう。もう当然のように、乗り越えて帰っていた。

 

そんなある日のことだった。夜8時ごろの人気のないホームから壁を乗り越え、川尻駅の前を通った時に、突然声を掛けられた。あの、以前声を掛けてきたおっちゃんだった。

 

「ちょっと、こっちおいで。」

 

そう呼びかけるおっちゃんは怒っているようにも見えず、逃げ出せばよかったものの、僕は呼ばれるがままに駅の構内に入っていった。もうなるようにしかならないよね、と思った。


「にいちゃん、彼女さんとこの帰りね?」

 

おっちゃんは咎める訳でもなく、怒る訳でもなく、どこか淋しそうな目で僕を見ながら言った。

 

「…はい。」

 

「俺も若い時、にいちゃんくらいの時はよく悪さしとったよ。でもね、にいちゃん、それじゃあ彼女さんは会っても本当に喜べるのかな?」

 

つぶやくように語るおっちゃんに、僕は何も言えず、ただただ俯いていた。怒られるよりも、語りかけるおっちゃんの言葉の方が、ずっしりと重く感じた。

 

「にいちゃんは、どこの駅まで行きよっと?」

 

「…南荒尾です。」


ふぅ、と小さくため息をついたおっちゃんは座っていたパイプ椅子から腰を上げて歩きだした。そのまま自動券売機の前に立った。僕はその場で立ち尽くしたまま、待っていた。料金の精算を請求されるのだろう。

 

おっちゃんはズボンのポケットからおもむろに黒い萎びた革財布を取り出し、お金を券売機に入れていく。
再び僕の方に戻ってきたおっちゃんが言った。

 

「にいちゃん、とりあえずこれで今度から彼女さんに行くたい。」

 

おっちゃんから渡されたのは川尻駅から南荒尾駅の定期券だった。僕は訳が分からなかった。

 

「え…?これは…」

 

「定期券だけん、ずっとは使えんけど、しばらくはこれで行けるど。もう変なこつはするなよ。ほら、もう遅いけん帰れ。」

 

ニッとはにかんだ顔で僕の顔を見るおっちゃん。まさか、定期券を譲って貰えるなんて思ってもみなかった。

 

貰った定期券をポケットに入れ、駅に止めていた自転車に乗り、ペダルを踏み込んでいく。田舎道の羽虫が時折顔に当たるのも気にならない位に、僕の心はショックを受けていた。過去に大人から怒鳴られたりする時よりも、心の中のずっと深い所に、スッとおっちゃんの言葉が染み込んで来た。


僕は自分がズルいことをしていくうちに、心の「大切な何か」を無くしてしまっていたのだろう。とっても、無くしてはいけないものを。それをおっちゃんは僕に思い出させてくれたのかもしれなかった。


なぜおっちゃんは見ず知らずの僕なんかに、定期券を買ってくれたのか。しかも距離が距離だから金額も相当なものだったに違いない。自分が情けなくなって、ボロボロと涙を流しながら僕はペダルを漕ぐ足に力を込めた。夏の夜は涼しかった。

 

家に帰り着き、家族のいる居間には行かず自分の部屋に直接入った。泣いた後の顔を家族には見せたくなかったからだ。
ポケットに入れた、おっちゃんに貰った定期券を取り出そうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 


無くしてた。

 

 

 


と、そんなことを思い出しながら電車の車窓から外を眺めていると、川尻駅に着いた。あれから何年も経ったいま、あのおっちゃんは今もいるのだろうか。

 

扉が開いて、夏のムワッとする熱気と入れ替わるようにして僕はホームに降りて改札に向かった。

 

改札には若い駅員さんが1人いるだけで、あのおっちゃんは居なかった。もしかしたらもう定年になったのだろうか。

 

もし、もう一度会うことが出来るのなら、あの時のお礼を言いたかった。仕方なく、ポケットに入れた青春18切符を駅員に見せて改札を出ようとした。

 

 

 

 

 

 

 

無くしてた。壁でも越えるか。

大丈夫だよ。

大丈夫だよ。

 

 

こんな心強い言葉が他にあるだろうか!

 

 

ストレス社会の現代の中で、常に不安や恐れを抱えながら生きている人々にとってはかけがえのない言葉だ。

 

叱責はもちろんだが、頑張れ!といった言葉も励ましというよりプレッシャーになる方が多分にあるだろう。その中でこの、「大丈夫」という言葉は全身にのしかかる負担を取り除いてくれる唯一の言葉だと思う。

 

 

元々の語源をたどるとこの「大丈夫」というのは和漢異義語というもので、中国の言葉がそのまま伝わってきている。周の時代の成人男性の身長を一丈と表したところから丈夫という言葉が生まれた。

 

大きく、力強い男がいる。そんな安心感が伝わってくる言葉だ。

 

 


そんな、「大丈夫」という言葉をかけられて、心に響いたエピソードが先日あった。

 

 

 

僕は普段、建築現場で働いている。朝、様々な交通機関を使い、現場に着いてから仕事をする。普通の会社員なら職場というのはずっと変わらずオフィスで、通年同じ職場に通い詰めるのだろうが、建築の仕事では現場が変わるたびに朝の通勤ルートも通勤手段も往々にして変わるのだ。

 

 

地元の熊本で働いていた時は公共の交通機関が充実していないので専ら車での通勤だったが、東京ではバスや電車で現場に通うのが主流だ。ただ、それだと作業道具とヘルメットをバックに詰め込んで運ばないといけないので、荷物がかなり重い。それに朝の通勤ラッシュに重なると、デカいバックがかなり他の乗車客の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまう。やはり車での通勤が1番である。

 

 

先日通い詰めた現場が足立区のとある市民プールの解体現場だった。僕は一つの建築会社で勤めているだけでなく、フリーランスで他社の仕事も受け持つことがあり、この解体現場も他社の仕事だった。

 

 

普通なら電車とバスを乗り継いで現場に向かわなければならないのだが、この会社の高橋さんという五十代のオッサンがとても親切で毎日車で送り迎えしてくれた。

 

 

建築業の職人の世界では、上下関係というのは絶対的なものだ。経験年数が多く、仕事が出来る人ほど偉い。下の人間は仕事もプライベートもなく、上の人の言うことを聞き、使いパシリをして一緒に仕事をすることで技術を盗むことができる。

 

この高橋さんは二十年以上の経験年数の大ベテランで、僕なんてヒヨッコ同然なのだけれど、威張ることもなく、毎日迎えに来てくれた。僕は嬉しい以上に申し訳ない、いたたまれない気持ちになった。

 

 

ある朝、高橋さんの運転で現場に向かう際、僕はそんな胸のうちを伝えた。

 

「高橋さん、毎朝いつも送り迎えさせてしまってすみません。」

 

 

礼儀とかではなく、本心だった。

 

高橋さんはそれを聞いて、フッと鼻で笑いながら答えた。

 

 

 

「なぁに、そんな礼なんか要らないよ。これが俺の役割なのさ。」

 


「でも、僕なんて現場に直接行くのが当たり前なのに、わざわざ来て貰っているから…」

 

そう言った僕に高橋は優しく、語りかけてくれた。

 

 

 

 


人にはそれぞれ、役割があるのだと。

世の中には色んな人がいる。

そして色んな仕事があって、色んな役目がある。毎朝電車に揺られるサラリーマン、街を巡回するお巡りさん、商品を並べるコンビニのアルバイト、そして僕ら建物を作ったり、壊したりする職人。自分にはサラリーマンもお巡りさんもコンビニ勤めも出来ないけれど、足場鳶の仕事ができる。

 

出来ないことを恥じる必要なんて無い。自分の役割を果たせば堂々と生きていける。朝、同じ現場で働く仲間を車で送り迎えするのも自分の役割なだけ。

 

 

と高橋さんは言ってくれた。

 

ハンドルを握りながら、何気なくそう言ってくれる高橋さんの姿が、大きく、そして力強く見えた。職人の魂のようなものが垣間見えた気がした。

 

建築業の人なんてほとんどがアル中とか前科持ちとか、社会のルールも守れないろくでもない人ばかりなのに、この人は違う。そう感じた。

 

 

 

 

胸が熱くなった。
感謝の念がこみ上げてくる。

 


だから余計に、申し訳ない、とも思ってしまい、つい言ってしまった。

 

 

「せめて運転だけでも代わりたいんですけど…すみません。運転免許が無いんです。」

 

 


僕は元々免許を持っていた事、それが剥奪され、今は持っていない事を伝えた。日頃人に言う話では無いのだけれど、高橋さんにならなんでも話せるような、そんな気がした。

 

 


高橋さんはそれを聞いて、フッと鼻で笑いながら答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ。俺も免許ないから。」

 

 

 

 

Mother's Day 〜感謝の気持ちを込めて伝えよう〜



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5月8日、今日は母の日だ。
世界的にみると実は母の日は定まっておらず、アイルランドやイギリスでは年ごとに変わり、キリスト復活祭の3週間前になるし、オーストラリアでは5月の第2週になる。


アメリカでの南北戦争中、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の娘のアンナ(Anna Jarvis)は、戦後、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を行い、白いカーネーションを贈った。(1907年5月12日)これが日本やアメリカでの母の日の起源となっている。

現在では、花屋には母の日に向けての花束の全国配送サービスが行われており、花屋にとっては稼ぎ時だ。その他にも母の日のプレゼントとして様々な食品や雑貨でも商戦が繰り広げられている。


なかなか普段、ありふれた日常の中で伝えることのできない母への感謝の気持ち。なんとなく照れくさくて言い辛くても、この日だけはちゃんと気持ちを言葉にしよう。
「ありがとう」と。
だから本当はプレゼントとか花じゃなくて、気持ちが一番大切なのだ。


おろそかにしてはいけない。人類皆母のお腹から生まれ育っているのだ。

つまりこの世の中の起源を遡ると社会というのは母のお腹が起源なのだ。

僕はいま、今日のブログはいつもと一味違うものにしようとしている。生んで育ててくれた母への感謝の気持ちを込めた、メッセージとして書こうとしている。いまにも涙腺が崩壊しそうだ。




…ここまで書いていてふと、僕は不思議に思った。

幾度なく「母」という文字を書いていたせいで涙腺より先にゲシュタルト崩壊したのだけれど、この、「母」という文字はどのような成り立ちなのだろう?





早速調べてみる。すると2つの仮説が上がってきた。








まず1つ目。

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きらびやかにしなった腕でひざまづいている女性。の象形文字

いやいや。なんだこれは。噴飯ものだ。どう見たって腕にも女性にも見えない。針金虫にしか見えない。想像力が豊かすぎる。薬物乱用しないとこれはムリがある。







そして2つ目。







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この画像を見て、はっ!これは!
と、気づいた方も居るかもしれない。

そう、これは横向きにすることでおっぱいになるのだ!谷間のできた2つの乳房と、見紛うことなき点で表現された2つの乳首。もうこれは母じゃない。おっぱいだ。これが成り立ちだ!



こんなにまじまじとおっぱいを見つめていたら、もうどうしようもなくムラムラしてしまって僕は颯爽と家を飛び出し、いざおっぱいパブへ。




日曜日のおっぱいパブはそこそこの賑わいをみせていた。さすが母の日。





指名なしのフリーでぎこちない足取りでソファ席に座り、出てきたビールを啜る。


しばらく待つとランジェリー姿の女の子が出てきた。









ブスだった。


顔だけならまだいい。だけどスタイルもブヨブヨとしていてポチャとも形容し難い。そして短足。体型までブスだった。



もうこれは前門の虎後門の狼なんて生易しいものじゃない。前門のブス後門もブス!だ。逃げ場はない。





「お邪魔しま〜す」


なんということだ。声までブスだ。



顔、体、声の三拍子が揃い揃ってブス。なんということだ。

これはもう、天に見放されたと思った、その時だ。








ぶるん、ぶるんぶるんと音が聞こえて振り向くと、そこには巨乳が2つあるではないか!





そう、ブスは胸が巨乳だったのだ!


これまたなんということだ。
一度は死を覚悟する程の窮地に追い込まれたものの、何らかの慈悲の心によって僕は救われたのだ。




いったい誰が?神様か?
そう思って呆然と僕はただただ巨乳を見つめていた。そんな僕を不思議に思い、ブスは僕に話しかけてくる。



「ど〜したんですかぁ〜?」




そう言って体を傾げて来た、その時だ。

横向きに傾げた巨乳が僕にメッセージを伝えてきたのだ。










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そう。この慈悲の心は正に、
母の愛だったのだ。





涙が止まらない。









僕は感激のあまり、延長に延長を重ねて母の日に贈る花代も使い切ってしまった。まぁいいや、物じゃない、気持ちだ。…ただ、感謝の気持ちをここで言葉にさせてほしい。









ありがとうおっぱい。




ダイエットしよう

(2015年11月10日制作)

「どうしたいの?」

とよく言われる。なんのことかというと、ここ数ヶ月の食生活全般のことである。インスタントを避け、筋トレをし、プロテインを飲み、鶏肉と野菜を食べる。早食いを抑え、炭水化物もむやみにとらない。だけどいま急激なダイエットを目指している訳でもなければボディービルダーを目指している訳でもない。生活習慣を良くしたいだけなのである。太るのが嫌なので、ただ、
「細いほうがいい」
と言うしかないのである。

人生はあっという間、とよくいわれるが、そんなことはない。割と長い。特にチヤホヤされる10代、20代は短くて、残りの余生のチヤホヤされない数十年の方が長い。しかも長寿の国、日本である。明日をも知れぬ我が身と謳って「今日という一日を大切にしよう」と、欲求のままに暴飲暴食の限りを尽くしても、明日はやってくるのである。紛争地域のようにコロッと死ぬことはなく、カラッと揚げたコロッケをペロッと食べるのである。欲望の二文字が翌朝、腹の周りにチャンピオンベルトのようにまとわり付くのである。それは勝利ではなく、敗北である。習慣というのは末恐ろしい。そんな食生活を繰り返していれば、代謝の良い20代では影響をさほど受けないとしても、習慣が身に染みてしまい、30代、40代と続ければ確実に太ってしまう。チャンピオンベルトをぶら下げながら、余生を諦めて過ごすのか、スッキリした腹周りで最後まで余生を楽しんで過ごすのかは、この20代での生活習慣に掛かっているのである。

しかしマズローの人間の三代欲求とはよく言ったもので、食欲というものは理性じゃなかなか敵わないのである。この時間帯でいま僕は腹が減ってしょうがないのである。なぜ夜に食べると太るからダメだとわかっていても人間とはついつい食べたくなるものなのか。本当にわからない。アダムとイブが禁断の果実を食べるように、いま僕は無性に食べたいのである。ラーメンが。

一度ラーメンが食べたいと考えだすと、本当に止まらなくなる。気を紛らわすためにケータイをいじっても無意識にラーメン屋さんの営業時間を見てしまう。じゃあとっとと寝てしまおう。と思って羊を数えると6匹目くらいから羊毛がちぢれ麺になって最終的に20匹くらいから羊の面影は無く、ラーメンが柵を乗り越えてくる。悪夢である。
完全に目が冴えてしまって、改めてケータイで今度は「空腹を紛らわす方法」を調べる。知恵袋とかいろいろ見てみる。
•水をたらふく飲む
•満腹中枢の足のツボを刺激する
•映画を観たり音楽を聴く
と、そこそこいいことが書いてあったのだけれど、うっかり広告ページを押してしまい、飲食店サイト「ぐ○ナビ」に飛んでいくとそこには黄金のスープとトロトロチャーシューの乗ったラーメンがケータイ画面いっぱいに出てきたのである。反則である。なぜあの知恵袋のページからラーメンへ飛ぶのか。悪意を感じる。空腹に加えて視覚を襲われた僕には抵抗する術もなく、ただただ家を出て夜道を一人、ラーメン屋へ向かったのである。

さてさて無惨にもラーメン屋の看板はピカピカと光っており、恍惚とそれを眺める僕。暖簾をくぐると、あの豚骨スープのなんともいえない香りが五感を揺さぶるのである。席に座ってラーメンを頼む。店員はいつものように麺の太さを聞いてくる。

ここで!自己の精神の中の一つ、超自我(理性)がハッとするのである。ここで食べてしまってはいけないのだと。まだ間に合う。まだ作られていないのだから、店員に軽い会釈をしてこの場を立ち去ればなにもなかったことになる。そしてエス(自己の中の欲求)が爆発する前に無事に帰宅して輝かしい明日を迎えることが出来るのだ。いまは苦しい。しかしそれは乗り越えられる壁である。社会福祉活動家のヘレン•ケラーもこう言っていた。

「世界には苦しみがあふれているが、苦しみを克服した人たちも同じくらいたくさんいる。」と。

その時、カウンターであれこれと思案していた僕に、どうやら待ちわびた店員が聞いてきた。

「どうしたいの?」

僕はつい、答えてしまった。

「細いほうがいい」

あの日みたモザイクの向こうがわを僕は忘れない

(2015年12月22日制作)


モザイク。


と聞いて貴方は何を連想するだろう。



地上波では放送できないような内容だったり、ちょっとエッチな内容だったりに使われる修正のことをイメージする人が大多数であろう。無論、今回のモザイクとはエロな動画のモザイクについてである。





ガラス、タイル、木片などを用いた欠片を寄せ集めた芸術品のことを連想した人はとんだ勘違い野郎である。
と恐れながら言わせていただきたい。






そもそも何故?モザイクは必要なのか。
海外では無修正での動画が認められているにも関わらず、なぜ日本では規制がかかってしまうのか?不思議である。
そこには日米の深い関係性が?
日本の政治の流れは?
資本主義とはなにか?
そしてこれから歩むべく日本の方向性とは?



今回はそんなモザイクの必要性についてのお話。






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少年というのは、
性についての関心に満ち溢れている。

幼少期の頃は男女の違いすらもわからなかったのに、小学生くらいにもなると、登下校の時に棄ててあったエロ本を周囲を気にしながら、足で蹴りながらページを捲り、男女の違いというのをだんだんと知っていく。


学校で学ぶ性教育なんてものは陳腐なもので、性の違いを学んでも性行為は学べないから全くもって意味不明だった。コウノトリが運んでくるとか、キスしたら妊娠するとかいうデマが錯乱した。

そんなものを学んでも要点がつかめないのである。

結局はエロ本やエロ動画を観て、人はだんだんと大人になっていくものである。






あれは僕が15歳の頃。

青年に近づく僕は性に対しての好奇心がまるで湯水のように湧き出ていた。

男というのは馬鹿で愚かでどうしようもない生き物なのだけれど、皆が皆、性に関して好奇心旺盛でお互いの性知識を競い合っていた。

暴力で成り立つピラミッドのような組織図は、平成生まれの僕らの世代にはなかった。けれど、代わりに性知識の多いもの、性に精通した者がピラミッドの上に立つような組織図があった。


僕はまだ童貞だったのだけれど、友人達の中では群を抜く知識を持っていて、ピラミッドのツタンカーメンの墓の入り口とかあって、そこから干しぶどうみたいなミイラでも出てくるんじゃないかって位の高地位を確立していたのである。


無論、早々と行為をして卒業した同級生なんかはピラミッドの頂上からヘリコプターから垂れた吊り梯子に掴まって飛び発っていくようなもので、このピラミッドはあくまでも童貞の世界なのである。


しかし、僕と同じ位の地位を確立した友人は何人か居たものの、頂点に立つ者は1人も居なかった。

それは何故かというと、それぞれの知識を競い合う中で、皆が皆、共通した知らない事実がある事を知ったのだ。




そう、モザイクの向こうがわである。




誰もまだその領域に達していなかったのだ。

そもそも何故、女の乳輪とか喘ぎ声とかが認められているのに、そこまでしといて陰部だけモザイクが必要なのか?当時の僕には全くもってわからなかった。




あれ??じゃあエロ動画とかで観ればいいじゃない。
と貴方はいま考えたかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

それにはこの頃の時代背景が大きく関わっているのだ。

田舎だったのも大きいが、この頃の僕らにはまだ1人一台ずつケータイを持っているという事も稀だった。

しかもケータイはスマホではなくガラパゴス

エロ動画自体も、現代のような優良なサイトは無く、すぐにスパムメールの嵐になるような悪質なサイトや、結局たどり着いても修正済みの動画しかなかったのである。まさにエロにとっては世紀末である。

この時代は凄く重要で社会の授業でも必修項目なのでぜひとも覚えていただきたい。


そして、男達は奮い立った。
ピラミッドの頂点に立つのは
この俺だ。と。

それにはもう、どうにかしてモザイクの向こうがわを観るしかなかったのである。


ある日の公園で、友人達が躍起になってケータイを弄って無修正動画を探している時、僕は1人、ペダルを踏み込んだ。




そう、僕が自転車で向かったのはビデオ屋さんだった。


それもTSUTAYAみたいに幼稚なビデオ屋さんじゃなく、パチンコ屋さんの隣にある、ボロいビデオ屋さんだ。


書物、文献、映像。

そのどれをとってもTSUTAYAよりは良質なものが揃っている気がしたのだ。


ビデオ屋さんに到着し、自転車を停める。

そこには、パチンコ屋さんの音でいまにも崩れてしまいそうな勢いのビデオ屋さんがあった。なぜだか僕の期待も高まる。



入り口を入ると、店内にはホコリといかくんの臭いがたちこめていた。

レジの奥から白髪混じりの店長が、ニュッと出てきた。なんとなく気まずい。

「おや、いらっしゃい。」

ニヤッと笑う店長さんの歯がところどころ抜けていて、なんだかモザイクみたいになっていた。

その口のモザイクの向こうがわには、なんてことはない。そこには干しぶどうみたいなミイラを彷彿とさせるノドチンコが哀愁を帯びながらぶら下がっていただけだった。

僕は軽く会釈をして、漫画の棚の奥のお目当てのコーナーへ向かった。


ビデオコーナーの新作の欄とかを見ても、どれも一昨年の作品のものばっかり並べてあった。

他にもタイトルをみても、奥様特急!銀河鉄道スリーファック!とかそれいけ!あんばいの良い人妻!とか卑猥なものがズラリ。

表紙の写真の女優さんはダライ・ラマみたいな顔の人ばかりだった。

どれも無修正ではなく、加工が施されていた。どうやらこのお店にも置いてないらしい。

諦めて僕がお店を出ようとすると、店長が僕に話しかけてきた。馴れ馴れしいなおい。

「きみ、もしかして、あれをさがしているのかな?」


男というのは馬鹿なりに、分かり合うのが早いらしい。店長は僕のことを察してくれたし、僕も、店長の言う「あれ」が無修正のビデオのことだという事を察した。


「はい。そうなんです。」


と僕が答えると、


「店頭には出してないんだよ。」


と言ってレジの下の引き出しからタイトルも何もない、3本のビデオテープを取り出してきた。おもむろに。

店長さんがガチャガチャと歯を鳴らしながら説明する。どうやらビデオ一本で1500円もするらしい。

当時の僕にとってはそれはそれは1500円というのは大金である。しかもビデオテープの中身もよく分からない。かなりリスキーである。

しかし、これくらいのリスクを負わないとモザイクの向こうがわは見えてこないのである。俺は超えてみせる!そう心の中で自分に言い聞かせた。

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1500円を店長に渡して、一本のビデオを選んだ。






僕はまた自転車に乗り、意気揚々とペダルを踏み込んだ。凱歌を歌いながら自宅へ向かう。



早速、自宅の部屋に篭って、ビデオテープを再生する。インディーズ特有の画質の悪さが少し目立つが、まぁいい。




猥らな女性がベットの上に寝転がっていた。下半身をこちらに向けているが、羞らいがあるのか、脚を閉じていて肝心なところは見えない。

そこに男優が登場。

ゆっくりと女の膝頭を両手で掴んで、広げていく。

おもむろに。

女の顔が紅く火照っていく。

声を張り上げていく。

クライマックス。

脚が全開に開かれた。




そしてついに!

僕はモザイクの向こうがわを見た!

そこには、












干しぶどうみたいなミイラがいた。










ーーーーーーーーーーーーーーーー









何故、モザイクが必要なのか。


それは青少年が健全に成長していく為には見てはいけないものが
この世には数多に存在からである。
そしてそれは青少年の思考や夢を
著しく破壊するものであって、
規制が必要なのである。




あの日見たモザイクの向こうがわを僕は忘れない



Stay with me

(2016年1月6日制作)


日本時間12月6日に発表された第57回グラミー賞


4冠を達成させたサム・スミス。実は筆者と同い年で、年男。猿みたいな顔してからに。
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最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を掻っ攫っていったサム・スミスによる、「ステイ・ウィズ・ミー」が世界を圧巻させた事は皆様の記憶に新しいのではないか。

甘い声と独特なメロディが恋心を歌うシンプルなメッセージに深みを与えている。

音楽の世界において、その全てがとは言い難いのだが、ラブソングはシンプルな歌詞で作られる事が多い。なぜなら聴く人には一人一人の恋の物語があって、情景も状況もそれぞれなのである。シンプルな歌詞だからこそ五臓六腑に染み渡る。

ここでもしラブソングで、ダライ・ラマみたいな顔の女の子との出会い~そして別れ~みたいな歌詞でも歌ってしまえば、極端にニーズは絞られてしまう。

おそらくダライ・ラマみたいな子と合コンでもしてた奴か、チベット仏教徒のゲルク派に限られるだろう。

そして例えば日本の歌手などに関しては歌手とアイドルの線引きが非常に曖昧で、歌が上手いだけでは成り立たないのである。寧ろ顔が良いか認知度があれば歌唱力は必要とされない。

つまり世の中で重要なことは顧客のニーズに応えるということである。それだけが唯一人を惹きつけ魅了させる。



さて、



富士蕎麦というチェーン店をご存知だろうか。

近年安倍内閣による抜本的な経済改革を目指す為の円安によって、輸入品の高騰が続き、多くのチェーン店や加工食品等が続々と値上げや食品の質を落としている。

王将の唐揚げ炒飯がもう唐揚げが欠片ほどしかなくて、最早ただの炒飯になっていたり、駄菓子の蒲焼さん太郎のサイズが小さくなって袋の中にエアーポケットが出現したことは皆様の記憶に新しいのではないだろうか。


そんな中、低価格を貫き通していた店がある。それが富士蕎麦だ。アッパレ日本男児のような店である。


富士蕎麦ではなんと、かけ蕎麦が一杯290円という価格で堪能することができる。

健康を第一に考えた防腐剤不使用で店舗ごとに出汁をとったスープの上を、慎ましいネギとワカメが踊るように滑るその姿はまさにフィギュア男子の羽生結弦である。

そして咀嚼するほどに香りの広がる蕎麦。雑味はそこに無い。シンプルな蕎麦だからこそ、五臓六腑に沁み渡る。

これが290円。アッパレ富士蕎麦。




まさに富士というネームがふさわしい。僕はそんな富士蕎麦をずっとリスペクトしていた。








しかし富士蕎麦には特徴がある。それは客層だ。

食べにいった人ならご存知だろうが、圧倒的低価格の蕎麦を食べる客層というのは圧倒的低レベルの客層なのだ。

世の中の所得者をピラミッドで例えるとホントに一段目に店を構えている様なレベルだ。まさに底辺。

そこに墓から蘇ったかのような、干しぶどうみたいな顔したミイラみたいなオジさんが訪れる。

提供している富士蕎麦の技術とそこに群がるオジさんという客層。

明らかにそこには歪みができていた。
この関係が続く筈もなかったのである…












2016年。日本時間1月4日朝7時に新年の初営業を開始した富士蕎麦。



僕の心の中でグルメ賞4冠を総ナメしたあの富士蕎麦が、来てみてびっくり、かけ蕎麦が300円になってた。

これは流石にマズイんじゃないだろうか。いや味は美味いんだけど。

明らかに店の前で券売機で食券を買う客の顔が強張っている。不満、不安、憤り。それがどの客にも顔に出ていた。ダライ・ラマみたいな顔してからに。

たかだか10円と言ってはいけない。これはもう闘いである。そう、富士蕎麦は顧客のニーズに応えきれていないのだ。

するとなにが起きるか。ニーズに応えきれなかった店は廃れる。

客は離れていくのである。事理明白。


そこできっと富士蕎麦経営者は
胸を痛めて歌うだろう














Stay with me 
そばにいてほしい。と。













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とこんな感じでブログ書かせてもらったけど、このシャレはshiraboの読者のニーズに応えているだろうか

どうか、そばにいてほしい

つまり分からない方が良いことがこの世にはあるということだ

(2016年2月25日制作)


2月11日、人類は重力波の観測に成功した。
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これはアインシュタインが唱えていた相対性理論の一つが本当だったことを証明した。

地球上では観測が難しい、極微小なエネルギーの通過による振動を宇宙空間で観測したらしい。



と、ここまではメディアででてきた情報で知った。


人類の進歩は驚異的である。



ほんの百数十年前には武士が刀を提げていた時代だったのに

いまでは老若男女が歩きスマホしながら闊歩している。


とりわけ科学技術の進歩によって、これまで神秘に包まれたまま解明されてこなかった現象や物事が明らかになっていく。

今回の発見に関してもそうで、ついに論文上でなく科学的解明を遂げた。

これから先も未知の宇宙の特性や異次元に関するベールが紐解かれていくだろう。

しかし、果たしてそれが良いことなのか?僕は疑問に感じる。

科学的根拠をもって解決されていくと、神秘的で、未知なる物に対する魅力も失われてしまうのではないだろうか。

今はなんでもスマホで調べれば分かるようになっている。虹が出るのも、オーロラが出るのも、流れ星も、すぐ分かる。

とりわけ宇宙なんて未知だからこそ壮大で神秘的なのであって、科学的根拠に基づいて構築された空間だと言い切ってしまえばそれはなんかもうつまらない。

夢もロマンもそこにはないのである。
どんどんそんな時代になっていく。

つまり、分からない方が良いことが
この世にはあるということだ。








まーくん、宇宙ってすごいだろう。




父は湯船に浸かって空を眺めて話した。


冬の寒空に湯気が昇っていく。あの湯気は宇宙までいって天の川になるのかもしれない。暮れた空の底にはまだ僅かにオレンジ色が残っていた。


とても寒い時にわざわざ露天風呂に入るのが不思議でたまらなかった。父に言わせると、この温度差が乙なのだそうだ。よくわからない。


ただ、冬の透き通る空で輝く星を眺めながらお風呂に浸かるのは僕も大好きだ。















…もう何年も前に話は遡る。

僕がまだ小学生の頃、
まだ親父も一緒に住んでいた頃。

個人営業で行っている
ふすまの張替え新調の、
細々とした稼ぎの中で
僕ら家族は生活していた。


旅行も外食も年に一度
あるかないかぐらいのものだったが、

その環境で生まれ育ったものだから、

我が家が貧乏だとか
不憫に感じることは一度もなかった。

ただそれも小学生の高学年くらいに
なってからは、明らかに夏休みとかの
友人の過ごし方に差があって、
我が家が貧乏だと知ったときは驚いた。


そんな生活を送るなかでも一つだけ楽しみがあった。

それは、親父が好きな温泉に親父と兄と僕でたまに入りに行くことだった。


自宅より広い浴場。


広い湯船の中でバタ足をしてみたり、

手で水鉄砲のようにして兄にお湯をかけたり。


そして一通り遊んで疲れると、
父がいる露天風呂の方にいくのだ…













父と一緒に露天風呂に入ると、
いつも星の話をしてくれた。

あそこに見えるのがオリオン座、
この星とこの星を結んでいった先に
○○座があるんだよ、とか
星座の位置の探し方まで教えてくれた。

地球上で僕たち人間が
社会の括りの中で生きている時に

地球がものすごい速さで
太陽を回っていたり、

どこかの惑星が
天体的威力で爆発していたり、

そんな不思議でたまらない宇宙の中に
僕たちが生きているというのが
ワクワクするのだと父は語っていた。

普段家のの一室に閉じこもり、
気むづかしい面持で仕事をする父と、
宇宙の話をする楽しそうな面持の父は
まるで違う人のようだった…



とーさんは、どの星が一番好きなの??



僕が父に聞いてみると、






ほら、あの星だよ。

と言って指さした先には、
一際強く輝く星が出ていた。



とうさん、あの星は何て名前の星なの?





さあなぁ、星の名前は知らないんだよ。

ただね、あの星を見ていると、
不思議と元気がでるんだよ。






父は以前、ふすまの営業で
何日も仕事が見つけられない時期が
あったらしい。

家族に泣き顔を見せる訳にもいかず、
近くの道路に車を止めて一人で
落ち込んでいたとき、
ふと空を見上げると、
一際輝く星があったのだそうだ。
不思議とその星を見たとき
宇宙のスケールの大きさを感じて、


こんなことで負けてちゃダメだ!


と元気が湧いてきたのだとか。










父から教わった星は
それから先の人生の中で
僕も何度も見てきた。


学生時代の頃


社会人になってからも



失恋や将来の不安


そんな悩みを抱えた時は

いつもその星を見ていた。

そして父と同じく、
僕も元気をもらった。


そして僕はふと気になった。


あの星の名前はなんだろう?と。


何年も前から知っている星なだけあって
僕は無性に気になった。

スマホを取り出し調べてみる。

方角、時間帯、星座全体の中での位置。
それらを入力してみると、ついに同じ星が出てきた。










人工衛星だった。







あとがき


適当に人工衛星というオチで
書いたのだけど、
書き上げる直前で
実際に調べてみたら金星だった。
オチにもなんにもならないや。




つまり、分からない方が良いことが
この世にはあるということだ。