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しらぼ、

松本真青がSFを書くとこうなる。

ダイエットしよう

(2015年11月10日制作)

「どうしたいの?」

とよく言われる。なんのことかというと、ここ数ヶ月の食生活全般のことである。インスタントを避け、筋トレをし、プロテインを飲み、鶏肉と野菜を食べる。早食いを抑え、炭水化物もむやみにとらない。だけどいま急激なダイエットを目指している訳でもなければボディービルダーを目指している訳でもない。生活習慣を良くしたいだけなのである。太るのが嫌なので、ただ、
「細いほうがいい」
と言うしかないのである。

人生はあっという間、とよくいわれるが、そんなことはない。割と長い。特にチヤホヤされる10代、20代は短くて、残りの余生のチヤホヤされない数十年の方が長い。しかも長寿の国、日本である。明日をも知れぬ我が身と謳って「今日という一日を大切にしよう」と、欲求のままに暴飲暴食の限りを尽くしても、明日はやってくるのである。紛争地域のようにコロッと死ぬことはなく、カラッと揚げたコロッケをペロッと食べるのである。欲望の二文字が翌朝、腹の周りにチャンピオンベルトのようにまとわり付くのである。それは勝利ではなく、敗北である。習慣というのは末恐ろしい。そんな食生活を繰り返していれば、代謝の良い20代では影響をさほど受けないとしても、習慣が身に染みてしまい、30代、40代と続ければ確実に太ってしまう。チャンピオンベルトをぶら下げながら、余生を諦めて過ごすのか、スッキリした腹周りで最後まで余生を楽しんで過ごすのかは、この20代での生活習慣に掛かっているのである。

しかしマズローの人間の三代欲求とはよく言ったもので、食欲というものは理性じゃなかなか敵わないのである。この時間帯でいま僕は腹が減ってしょうがないのである。なぜ夜に食べると太るからダメだとわかっていても人間とはついつい食べたくなるものなのか。本当にわからない。アダムとイブが禁断の果実を食べるように、いま僕は無性に食べたいのである。ラーメンが。

一度ラーメンが食べたいと考えだすと、本当に止まらなくなる。気を紛らわすためにケータイをいじっても無意識にラーメン屋さんの営業時間を見てしまう。じゃあとっとと寝てしまおう。と思って羊を数えると6匹目くらいから羊毛がちぢれ麺になって最終的に20匹くらいから羊の面影は無く、ラーメンが柵を乗り越えてくる。悪夢である。
完全に目が冴えてしまって、改めてケータイで今度は「空腹を紛らわす方法」を調べる。知恵袋とかいろいろ見てみる。
•水をたらふく飲む
•満腹中枢の足のツボを刺激する
•映画を観たり音楽を聴く
と、そこそこいいことが書いてあったのだけれど、うっかり広告ページを押してしまい、飲食店サイト「ぐ○ナビ」に飛んでいくとそこには黄金のスープとトロトロチャーシューの乗ったラーメンがケータイ画面いっぱいに出てきたのである。反則である。なぜあの知恵袋のページからラーメンへ飛ぶのか。悪意を感じる。空腹に加えて視覚を襲われた僕には抵抗する術もなく、ただただ家を出て夜道を一人、ラーメン屋へ向かったのである。

さてさて無惨にもラーメン屋の看板はピカピカと光っており、恍惚とそれを眺める僕。暖簾をくぐると、あの豚骨スープのなんともいえない香りが五感を揺さぶるのである。席に座ってラーメンを頼む。店員はいつものように麺の太さを聞いてくる。

ここで!自己の精神の中の一つ、超自我(理性)がハッとするのである。ここで食べてしまってはいけないのだと。まだ間に合う。まだ作られていないのだから、店員に軽い会釈をしてこの場を立ち去ればなにもなかったことになる。そしてエス(自己の中の欲求)が爆発する前に無事に帰宅して輝かしい明日を迎えることが出来るのだ。いまは苦しい。しかしそれは乗り越えられる壁である。社会福祉活動家のヘレン•ケラーもこう言っていた。

「世界には苦しみがあふれているが、苦しみを克服した人たちも同じくらいたくさんいる。」と。

その時、カウンターであれこれと思案していた僕に、どうやら待ちわびた店員が聞いてきた。

「どうしたいの?」

僕はつい、答えてしまった。

「細いほうがいい」