しらぼ、

松本まさはるがSFを書くとこうなる。

上京タラレバ娘

僕は割と中華が好きだ。

とりあえず最後に片栗粉でトロミをつけとけばいいという安易な考えで炒められた食材達と、日本食にはない独特な味。

料理は専ら食べる専門なので、味付けがどうなっているのかは知らないが。

その料理に黒酢をぶっかけて食べる。
黒酢が好きで好きでしょうがなく、一時期は黒酢を持ち歩いて使っていたくらいだ。

もう元の味なんて分からなくなるくらいに黒酢をぶっかける。料理を作った人の気持ちを考えろ!なんてしばしば言われるのだけれど、そんなの金払って食べる側の自由だと思う。
だから、冒頭で割と好きと書いた。

ただ、中華で黒酢を頼むというのは簡単そうで実に難しい。何故なら、テーブルに置かれた黒酢、あれは黒酢じゃないんだ!

いや、黒酢なのだけれど、醤油と半々で割ってある黒酢なのだ。


黒酢と醤油のハーフ。ハーフの芸能人とかいま人気だけど、調味料に至っては駄目。インドカレー屋の店員がインド人なのとパキスタン人なのくらい違う。

となると当然、ハーフ黒酢じゃない、純たる黒酢が欲しいから、店員に頼むしかなくなる。


「すいません、黒酢ください。」


「テーブル ニ アリマスヨ。」


9割、いや10割と言っていいだろう。店員とのやりとりはこうなってしまう。しかもだいたい店員は中国人なので、カタコトの日本語で。

いや、テーブルの黒酢の存在は分かってるんです。

でもこいつはハーフなんです。半端な野郎なんです。僕はたとえ不器用でもいい。純粋な奴がいい。黒酢が欲しいんです!!という葛藤が心の中で起きるのだけど、流石に恥ずかしくて口には出来ない。

でも伝えないとハーフ黒酢を使うしかなくなるので、緊張しながら更に頼むことになる。僕の頬は赤らみ、戸惑いと葛藤が瞳孔を震わせる。


「あの…僕が欲しいのは…純粋な…」


ここで一つポイントがある。言葉というのは非常に難しい。同じ言葉でも、その背景や感情によって、同じ言葉でも深みが全くもって違う。

どれだけ欲しいのか、どのようにしてそれを知り、欲しくなった動機、その渇望の強さ、これらを相手に分からしめなくては欲しいものも手に入らない。安易になんでも頼めば手に入る世の中ではない。どのくらいの気持ちを込めればよいのかというと…



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「あの…僕が欲しいのは…純粋な…」

「ごめんなさい。あの、私、まだそんなつもりじゃなくて…。」



そう言って断ってしまってから、どのくらいの月日が経ったろうか。大学生だったあの時の彼は、今、どこにいて、何をしているのだろう。

丸美は大きくため息をついた。寒空に昇る白い吐息。月は薄っらと霧の中に居て、ボンヤリとしている。

思い出して懐かしいという気持ちよりも、後悔の気持ちが大きいのかもしれない。

宮城県日本海側の小さな港町から上京してきて間もない丸美は、田舎の潮風よりも東京のビル風の方が寒いことに驚いた。

なんとなく、田舎を出て上京してみたい。そんな想いを抱え、親の反対を半ば押し切った形で東京の就職先を選んだ。

田舎の大学を出たくらいの丸美の就職先は小さな広告代理店の会社で、給料もパッとせず、働く他の社員もどこか陰湿で、居心地が悪かった。

田舎にやっぱり帰ろうか。そう思う時もあった。そんな辟易した気持ちのまま、転職する勇気も出ずに2年が経った。


そんなある日、丸美が職場の近くの喫茶店で昼休みを過ごしていた時、突然後ろから声をかけられた。


「あれ?…丸美?」


丸美が振り返ると、そこには昔と変わらないままの彼がいた。告白を断ってから音信不通だった彼がいま東京にいるなんて。



「どうしてここにいるの!?」
「なんでここにいるの!?」


聞きあうタイミングが一緒で、思わず笑う二人。それから改めて丸美が尋ねた。


「たかゆき、こっちに就職したの?」


彼は少し照れたように、頭をポリポリと掻きながら答えた。


「違うんだ。就職じゃなくて。…あのさ、いまでもやってるんだ。活動。」


彼と丸美は大学生当時、同じサークルのメンバーだった。

漁師の娘だった丸美は地元で採れる名産物の鱈がとても好きだったし、それが日本中に送り届けられていくのを誇りに思っていた。

自分もそんな地元の自然の恵みに関わる仕事をしたい。そう思った丸美は高校、大学と漁業、農業関係の学校に進学した。

その大学には地産地消サークルというのがあって、丸美はすぐさま参加。地元の名産品、鱈や馬レバーの紹介や販売、更には消費が増すように提案書を役所に出す事もあり、本格的なサークルだった。そこのサークルに彼、たかゆきが居た。

お互いの意見を交わし合う内に、丸美とたかゆきは親密になり、毎日の様に一緒にいた。

次第にたかゆきは丸美に恋心を持ち、告白をしたが、丸美は同じサークルの仲間としてしかたかゆきを見ることが出来ず、断ってしまった…。



「へぇ、そうなんだ。東京に来てからは何をしているの?」


丸美が尋ねると、たかゆきは少し誇らしげな口調で説明しだした。


「いまさ、TPPって話題になってるだろ?あれが可決されるとさ、海外の質の悪い安価な食品が大量に日本に入り込んで来て、日本の漁業や畜産農業がダメになってしまうんだ。だから団体を組んで、国会や役所の前でシュプレヒコールをするんだよ。」


シュプレヒコール?何それ?」


「まぁ、簡単に言うとデモさ。」


それを聞いた丸美は、軽くショックを受けた。

デモだなんて、たまにテレビのニュースでも見るけれど、あんなのがまかり通るなんて稀でしかない。そんなくだらない事に熱くなっているなんて、どうかしている。丸美はそう感じた。

職場の人間関係や仕事でストレスが溜まっている自分に対し、対照的に彼は忙しそうだけれど、楽しそうにしている姿が余計に丸美を苛立たせた。


「そんなくだらないことしてないで、地元で働けば?」


丸美の口から出た棘のある言葉とその口調にたかゆきは一瞬たじろいた。


「そ…そうだよな。くだらない事だよな。ハハハ、こんな事しないで地元で働くしかないよな。」


「じゃあ、そろそろ、いくわ。」


たかゆきは飲みかけのコーヒーを残して、喫茶店を出ていった。たかゆきの落ち込んだ後ろ姿を見たとき、丸美は少し、後悔した。

静かになる喫茶店。聴こえるのはたまに他の客がコーヒーを啜る音。

私、何やってるんだろう。

深い深いため息をつく丸美。交際を断った時の事を最近になっても後悔しているし、今の職場に就職したことも後悔して。あげく、一生懸命に活動をしているたかゆきに、くだらないというキツい言葉をぶつけたことも既に後悔していた。

本当は私も付き合いたい。仕事も自分の好きな仕事がしたい。地産地消の活動もしたい。くだらないなんて言ったのは本当はたかゆきの生き方が羨ましくて、拗ねて言った言葉だという事も、いまはよく分かってる。


もう後悔なんて、したくない。


丸美は慌ててバックの中からケータイを取り出し、アドレス帳を調べた。
岡田孝之の名前があった。番号も変わっていなければ繋がるはず。

祈る一心で電話を鳴らす丸美。
接続音が鳴る。どうやら今も番号は変わっていないらしい。

数コールの内に電話が繋がった。


「もしもし、あ、私。あのさ、さっきは酷いこと言ってしまってごめんなさい。」


「あー、いや、いいんだよ。学生でもないのにこんな事続けてるからくだらないって言われても仕方ないさ。」


明るい声で返してくるたかゆき。本当に優しい人だ。と丸美は感じた。

ふと、丸美は不思議に思うことがあった。なぜ、たかゆきは地産地消のサークルに入っていたのか。それに今でもどうして積極的に活動を行なっているのか。

たかゆきの家族は畜産農家でも漁師でもない。サークルに居た当時も何度か聞いた事があるが、いつも理由は教えてはくれなかった。聞くなら今だと丸美は思った。


「あのさ、たかゆきは、どうしてその活動を続けているの?それに大学の時のサークルもどうして入ってたの?」


電話越しでも、たかゆきが照れくさそうに頭を掻いているのが分かる。しばらく沈黙した後に、たかゆきが説明しだした。


「僕さ、実を言うとサークルに入った時は全然地産地消なんて興味なかったんだ。飲みサーとかは酒弱いから入りたくなかったしさ。で、そんな時に丸美と会って、いろんな丸美の熱い気持ちを聴いていて、僕も本気になったんだ。純粋に地元を想う気持ちっていうか、好きな事に取り組む気持ち。だからそんな丸美を見ていて僕は君を尊敬していた。それに…」


「それに?」


次の言葉が聴きたくて、ドキドキする丸美。


「それに…魚も肉も苦手だったけど、食べれる様になったんだ!鱈も。レバーも。」


子供みたいな事を言うたかゆきの話で思わず笑う丸美。本当に彼は今も変わっていないんだ。そう感じた。そんなたかゆきの事を愛おしくも感じる。

間を少し置いて、たかゆきがまた話し出す。


「だから丸美の地産地消の願いを僕が叶えてあげなくちゃって、今でも想っているんだ。きっと君も喜ぶと思って。」


私の気持ちも伝えるなら今しかない。丸美はそう思った。たかゆきに気持ちを伝えて、付き合いたい。

そう思った時、先にたかゆきが話し出した。


「あの…僕が欲しいのは…純粋な…純粋な君が欲しいんだ!丸美、僕と付きあってほしい!」



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このくらいの気持ちを込めれば、間違いない。来る。必ず黒酢は来る。


「あの…僕が欲しいのは…純粋な…黒酢なんです。」




「アリマセン。」


もう後悔しかない。デモでもやるか。